2013年12月16日月曜日

第39章 大導寺信輔の半生――或精神的風景画


--大導寺信輔の半生」は、作家の芥川龍之介が1925年(大正14年)に雑誌「中央公論」に発表した短編小説。自伝的な色彩が強く、「本所」「牛乳」「貧困」「学校」「本」「友だち」の6つの章からできている。当時、芥川は33歳であったが、2年後の1927年(昭和2年)に服毒自殺した。(まとめ・渡部)-- 

W 今回は芥川龍之介の「大導寺信輔の半生」です。「或精神的風景画」という副題がついています。芥川の作品は、現在、青空文庫に369点入っています。この小池さんとのブログでは、第21章で「猿蟹合戦」を扱いましたから、2度目ですね。
K 猿蟹合戦はそんなに前でしたか。時間がたつのは早いですね。
W この「大導寺信輔の半生」、芥川の晩年の作品です。岩波文庫で20ページですから、典型的な短編小説なんですが。この作品、小池さんはどう思いました?
K かなり以前に先生に勧められて読んだことがありましたが、好きな小説です。暗い自伝ということで、面白いです。
W 文芸評論家の吉本隆明さんが、この小説の基本的な性格について次のように書いています。

 周知のように芥川は「大導寺信輔の半生」という虚構が半ば壊れかかった自伝風の作品を書いた。「大導寺信輔の半生」といわずに「私の半生」と題し「彼」と書かずに「私」と書いたとしても作品構成上はすこしも不都合を生じない。また、すべての自伝が、その折の粉飾と誇張と主観によって方向づけられるのが当然であるとすれば、この作品にみとめられる程度の粉飾と誇張と主観的な色づけは自伝につきものと解してすこしも逸脱を生じない。
(吉本隆明『悲劇の解読』「芥川龍之介」  筑摩書房  152-153ページより)

W芥川が死の前に書いた自伝ということですね。それにしては、少し短いんだけど。作品の最後には、次のような附記がついています。

附記 この小説はもう三四倍続けるつもりである。今度揚げるだけで「大導寺信輔の半生」という題は相当しないのに違いないが、他に替る題もない為にやむを得ず用いることにした。「大導寺信輔の半生」の第一篇と思って頂けば幸甚である。大正十三年十二月九日、作者記
         (芥川龍之介「大導寺信輔の半生」より)         



W でも、続きは書かれずに自殺してしまいました。
K 本当に続きを書く気があったのか、そのあたりのこともわかるといいですね。
W この後に書かれた「或阿呆の一生」は、だいぶ形を崩した、もう一つの自伝だと思いますけど。51の断章からできています。

芥川は、おそらく中産下層階級出身のインテリゲンチャたる宿命を、生涯ドラマとして演じて終わった作家であった。彼の生涯は、「汝と住むべくは下町の」という下層階級的平安を、潜在的に念願しながら、「知識という巨大な富」をバネにしてこの平安な境涯から脱出しようとして形式的構成を特徴とする作品形成におもむき、ついに、その努力にたえかねたとき、もとの平安にかえりえないで死を択んだ生涯であった。
     (吉本隆明 「芥川龍之介の死」より)

W 芥川は、東京下町のあまり裕福でない家に生まれ育ちました。「知識という巨大な富」というのは、彼が子供のころからずっと、大変に知的で優秀で、さまざまな本を読んでいたことですね。「形式的構成を特徴とする作品」というのは、昔の文献や人物・事件をもとに、芥川が自分の主観をこめて話を作り上げた作品群です。「羅生門」や「」から始まって、たくさんあります。短編小説が多くて、以前取り上げた「猿蟹合戦」もその一つでした。
でも、死の数年前から、そうした形の整ったお話ではなくて、芥川本人を主人公にした小説が増えてきます。どこか投げやりで、死にとらわれているような作品が多いんです。ニヒリズムとかデカダンスという言葉が浮かびます。今回の「大導寺信輔の半生」はその代表作の一つです。他に「歯車」「或阿呆の一生」「蜃気楼」なんかがありますが、僕はどれも大好きです。
K 作家が自分を主題にしだすということは、ある程度その作家自身の名が売れて、作家の人生が他人に興味を持たれるものになってきたということでもあるんでしょうかね。
W それもあるかもしれないけど、実生活のことも含めて、彼がだんだんと追い詰められてきて、吉本さんの言う、形式の整ったお話を作ることがつらくなってきたからじゃないかしら。そこで、追い詰められてきた自分を題材に、作品を作るようになった。
K そうですか。
W この小説、6つの章からできていますが、前半、後半と大きく2つに分けることも出来ると思います。「本所」「牛乳」「貧困」が前半で、芥川が東京で生まれてから、主に小学校の頃までの生活が描かれています。吉本さんの「悲劇の解読」の芥川龍之介の章では、彼の生涯を振り返る時に、非常に重要な箇所として取り上げられています。自分の家が貧しく、そのため子ども時代に屈辱的な経験をいろいろしたことが、この3つの章では描かれています。
 後半の3つの章、「学校」「本」「友だち」は、主に、中学校に入ってから大学を卒業するまでのことに触れられています。中学校というのは、今はない旧制中学という5年制の学校で、12歳から1718歳の人を対象としていました。今の中学と、高校を合わせたようなものです。旧制高校と旧制大学が今の大学にあたります。
K いちおう知っています。
W 今日は主に、この後半の3つの章、「学校」「本」「友だち」についてふれてみたいと思います。

 学校も亦信輔には薄暗い記憶ばかり残している。彼は大学に在学中、ノオトもとらずに出席した二三の講義を除きさえすれば、どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった。が、中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通り抜けることは僅かに貧困を脱出するたった一つの救命袋だった。
  (芥川龍之介「大導寺信輔の半生」四 学校 より)

W 上の引用、「学校」という章の冒頭部分です。短いけれど大変に重要なことが書かれています。僕はとても興味深く読みました。
大学の23の授業をのぞけば、「どう言う学校の授業にも興味を感じた事は一度もなかった」と言いきっているんです。優秀だったり知的であることと、学校の授業をおもしろく感じるかどうかは別の話なんですね。優秀だったり知的であるからこそ、面白く感じられないと言うことも、あったのかもしれない。でも、この言い切り方は凄いなあ。
K それはそうです。学校や大学の授業が誰にとっても面白くないのは、普遍的なことです。
W やっぱり、そうなんですよね。今の教育をめぐる議論で、一番欠けているのは、そのあたりの認識じゃないかしら。生徒や学生は、だれでも授業が嫌いだったり、聞いてなかったりするんだけど、そこのところには、なぜか目をつぶる。認めることが出来ない。でも、芥川龍之介に「どう言う学校の授業にも興味を感じたことは一度もなかった」って言ってもらうと嬉しいなあ。国の教育改革の委員会委員とか役人に聞かせたいセリフです。
K そういった人たちも本音ではわかっているんじゃないですかね。表に出てくるのは建前の話だけですから。
W 教育改革の話って、建前ばっかりだものね。改革すればするほど悪くなっていく。
もうひとつ、学校が「貧困を脱出するたった一つの救命袋だった」ということもはっきり述べています。「学校はおもしろくないんだけど、仕方なく行く」ということで、このあたり、とても良くわかります。小池さんはどうでした?
K 貧困を脱出すためっていうのは、芥川の時代と今では、変わってきていると思います。今では学校を出ても貧困を脱出できるとは限らなくなってきているというか。
W 僕らの頃は、勉強して大学に受かると大学4年間は、ご褒美みたいなもんで、それこそ何やってても良いみたいな感じでしたけど、最近は、中学・高校との差異が小さくなってきた。ご褒美がショボイ。そのうえ就職難だし。
K 中学の頃、芥川がとても優秀だったという証拠は何か残っているんですか。
W 中学を卒業する前に、学校で出していた雑誌に載った「木曽義仲論」というのが今でも読めて、青空文庫にも入っています。すごいですよ、これは。
K 歴史ものですか。興味ありますね。

彼は勿論学校を憎んだ。殊に拘束の多い中学を憎んだ。如何に門衛の喇叭(らっぱ)の音は刻薄な響を伝えたであろう。如何に又グラウンドのポプラアは憂欝な色に茂っていたであろう。信輔は其処に西洋歴史のデエトを、実験もせぬ化学の方程式を、欧米の一都市の住民の数を、――あらゆる無用の小智識を学んだ。それは多少の努力さえすれば、必ずしも苦しい仕事ではなかった。が、無用の小智識と言う事実をも忘れるのは困難だった。ドストエフスキイは「死人の家」の中にたとえば第一のバケツの水をまず第二のバケツへ移し、更に又第二のバケツの水を第一のバケツへ移すと言うように、無用の労役を強いられた囚徒の自殺することを語っている。信輔は鼠色の校舎の中に、―――丈の高いポプラアの戦(そよ)ぎの中にこう言う囚徒の経験する精神的苦痛を経験した。のみならず――
  (芥川龍之介「大導寺信輔の半生  四 学校」 より)     

W 上の引用、前に小池さんと出した本の中でも、ちょっと触れましたけど、どうですか?あらためて読んでみると。
K 「勿論学校を憎んだ」っていうのがいいですね。勿論ですからね。

のみならず彼の教師と言うものを最も憎んだのも中学だった。教師は皆個人としては悪人ではなかったに違いなかった。しかし「教育上の責任」は――殊に生徒を処罰する権利はおのずから彼等を暴君にした。彼等は彼等の偏見を生徒の心へ種痘する為には如何なる手段をも選ばなかった。現に彼等の或るものは、――達磨と言うあだ名のある英語の教師は「生意気である」と言う為に度たび信輔に体罰を課した。が、その「生意気である」所以はひっきょう信輔の独歩や花袋を読んでいることに外ならなかった。
   (同上)

W ここに出てくる独歩は国木田独歩、花袋は田山花袋で、ともに明治時代に活躍した小説家です。芥川は文学好きだったんですね、中学生の頃から。このあいだ、「本を読む時間があるなら受験勉強しなさい」と生徒に言う高校の先生がいるという話を聞いて驚きましたが、「生意気である」って言うのは、どういう心理状態なんでしょう?
K 自分がそういうのを読まないから、気に食わないんでしょうね。
W あはは。なるほどね。

又彼等の或るものは――それは左の眼に義眼をした国語漢文の教師だった。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかった。その為に何度も信輔を「お前は女か?」と嘲笑した。信輔は或時かっとした拍子に、「先生は男ですか?」と反問した。教師は勿論彼の不遜に厳罰を課せずに措かなかった。
    (同上)   

W 「生意気である」と言ったのが英語の教師で、「お前は女か?」といったのが国語漢文の教師だったと言うのも面白いところです。その先生の専門がなにかということと、考え方や生徒に対する接し方は、必ずしも一致しないと言うか。
K ん?どういう意味ですか?
W 英語や国語の先生は、扱ってる教科の性格からして、少し思慮深くなるんじゃないかと思ったんだけど。「体育の先生は、おっかない」というのと同じで。そんなに甘いもんじゃないか、現実は。
K そういう意味か。ええ、それはないです。ありえない。
W そうか。僕は人が良いんだな。騙されやすいとも言うけど。

「予の蒙れる悪名は多けれども、分つて三と為すことを得べし。
「その一は文弱也。文弱とは肉体の力よりも精神の力を重んずるを言ふ。
「その二は軽佻浮薄也。軽佻浮薄とは功利の外に美なるものを愛するを言ふ。
「その三は傲慢也。傲慢とは妄りに他の前に自己の所信を屈せざるを言ふ。
(同上)                           
 
W ここの部分も、僕は昔から好きなんですけどね。教師が自分に貼り付ける「文弱」「軽佻浮薄」「傲慢」というマイナスのレッテルを、自分の中ではねかえすと言うか、ひっくりかえす。「先生は男ですか?」もいいなあ。
K たしかに強さを感じますね。この小説の続きが書けていたなら、自殺しなくてもすんだかもしれないという気がしてきました。
W 今の学校でも、こうした「マイナスのレッテル貼り」は随分横行しているようです。それも「文弱」「軽佻浮薄」「傲慢」といった生やさしいものじゃなくて、ある種の病気を暗示するようなものも増えています。例えば「発達障害」とか。教師のうしろに、心理学者や精神医学者が控えていて、芥川少年のようながんばりは、押し返されてしまう。
K まあこの主人公の場合は発達障害とは言われないでしょうけど。
W 32章で扱った萩原朔太郎のような子どもが今いたら、かなりあぶない。以前、子どもの「発達障害」を研究している人に、「もし子どもに『自分は発達障害でもなんでもないから、ほっといてくれ』と言われたら、ほっときますか?」と聞いたら、「そういうわけにはいかない」と言ってました。認定するのは自分たちで、決して子ども本人ではないということですね。自分に変なレッテルを貼りそうな人には、近づかないというか、口をきかないのが一番いいんだけど、相手が学校の先生じゃ、そうもいかない。

信輔は試験のある度に学業はいつも高点だった。が、所謂操行点だけは一度も六点を上らなかった。彼は6と言うアラビア数字に教員中の冷笑を感じた。実際又教師の操行点を楯に彼を嘲っているのは事実だった。彼の成績はこの六点の為にいつも三番を越えなかった。彼はこう言う復讐を憎んだ。こう言う復讐をする教師を憎んだ。今も、――いや、今はいつのまにか当時の憎悪を忘れている。中学は彼には悪夢だった。けれども悪夢だったことは必しも不幸とは限らなかった。彼はその為に少くとも孤独に堪える性情を生じた。さもなければ彼の半生の歩みは今日よりももっと苦しかったであろう。彼は彼の夢みていたように何冊かの本の著者になった。しかし彼に与えられたものはひっきょう落莫とした孤独だった。
(同上)

W 僕は芥川の晩年の小説を読んでいると、泣きたくなることがあるんですけど、上に引用した箇所もその一つです。
中学は、芥川にとって悪夢だった。教師との関係の中で孤独にならざるをえなかった。でも、社会に出て作家として名声を得ても、やはり孤独だった、というんですね。
K まあ、そうですね。
僕も中学のころに試験がクラスで1番だったのに、成績は5段階の4だっていうことが2科目くらいありましたね。テストだけできればいいんじゃないだぞって、教師に怒鳴られたこともありました。成績は教師の懐刀ですからね。
W そうなんだ。その話は初めて聞きました。小池さん見てて、とっても良いなあと思うのは、本読むのが好きで大学生の時も、よく一人で読んでたけど、学校とか教師は決して好きではないというか、簡単に屈服したり迎合しないようなところです。中学の先生からしてみると、手強い相手だったんじゃないかな。本好きの学校嫌い、教師嫌い。
K ちなみに先生も大学時代の教師ですね。あはははは。
W 「成績は教師の懐刀」というのも面白いなあ。最近、大学でも「成績を厳格につけろ」って、上の方からいつも言ってくるけど、あれは「学生指導をきちんとやれ」っていうか、「学生をもっと締めつけろ、痛みつけろ」って意味だったんですね。
 次の引用は、太宰治が24歳の時に書いた「思い出」という小説です。やはり中学校のことが書かれています。

私は入学式の日から、或る体操の教師にぶたれた。私が生意気だというのであった。この教師は入学試験のとき私の口答試問の係りであったが、お父さんがなくなってよく勉強もできなかったろう、と私に情ふかい言葉をかけて呉れ、私もうなだれて見せたその人であっただけに、私のこころはいっそう傷けられた。そののちも私は色んな教師にぶたれた。にやにやしているとか、あくびをしたとか、さまざまな理由から罰せられた。授業中の私のあくびが大きいので職員室で評判である、とも言われた。私はそんな莫迦げたことを話し合っている職員室を、おかしく思った。
私と同じ町から来ている一人の生徒が、或る日、私を校庭の砂山の陰に呼んで、君の態度はじっさい生意気そうに見える、あんなに殴られてばかりいると落第するにちがいない、と忠告してくれた。
(中略)
私は散りかけている花弁であった。すこしの風にもふるえおののいた。人からどんな些細なさげすみを受けても死なん哉と悶えた。私は、自分を今にきっとえらくなるものと思っていたし、英雄としての名誉をまもって、たとい大人の侮りにでも容赦できなかったのであるから、この落第という不名誉も、それだけ致命的であったのである。
(太宰治「思い出」より)

W 僕は芥川と太宰の中学体験、特に教師との関係がすごくよく似ていると思ったんですけどね。教師は自分を迫害するものとして存在する。学校自体、面白いものではない。でも、先の人生の事を考えると、どこかで折り合いをつけなきゃならない。
K まったくその通りですね。
W 芥川と太宰の作風は良く似ています。でも出身階層と言うか生家の状況は全然違うんですよね。太宰は、津軽地方を代表するような大きな家の出身でした。大学生の頃、夏休みに友だちと東北地方を一周したことがあって、太宰の家も見に行きました。その頃は「斜陽館」という大きな旅館になっていて、一泊しました。今では「太宰治記念館」になっていて、建物は国の重要文化財に指定されているそうですが。
K 太宰は自分が裕福な家の出身であることを恥じていますね。
W よく、出身階層や家の状況が子どもの将来を大きく規定するという研究があるけど、それはあくまで確率の問題で、当然のことながら決定的な要因ではないですよね。一人一人を見ていけば、いろんな人がいる。学校生活や対教師関係だって、出身階層だけからは説明できない。あたりまえのことだけど。
K ええ。
W 次は「大導寺信輔の半生」の第5章、「本」というところからの引用です。
 
こう言う信輔は当然又あらゆるものを本の中に学んだ。少くとも本に負う所の全然ないものは一つもなかった。実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかった。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知ろうとした。それは或は人生を知るには迂遠の策だったのかも知れなかった。が、街頭の行人は彼には只行人だった。彼は彼等を知る為には、――彼等の愛を、彼等の憎悪を、彼等の虚栄心を知る為には本を読むより外はなかった。
(芥川龍之介「大導寺信輔の半生 五 本」より)

W このブログの「猿蟹合戦」のところ(第21章)で、「人生は一行のボードレールにも若(し)かない」という芥川の言葉を紹介したら、小池さんが、「あまり好きな言い方じゃない」と言ってましたけど、この小説でも同じようなことを書いてますね。
K ああ、ありましたね。
W 僕はどっちかっていうと、芥川に賛成なんだけど。本から得たものは凄く多い。学校の先生や日常の生活からは、あまりなにも学ばなかった。 
K 僕は、現実の人とか日常には嫌なことが多いというところは同じなんですが、嫌なことからこそ学ぶことが多かったという感じです。

信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。たといどう言う君子にもせよ、素行以外に取り柄のない青年は彼には用のない行人だった。いや、寧ろ顔を見る度に揶揄せずにはいられぬ道化者だった。それは操行点六点の彼には当然の態度に違いなかった。彼は中学から高等学校、高等学校から大学と幾つかの学校を通りぬける間に絶えず彼等を嘲笑した。勿論彼等の或ものは彼の嘲笑を憤った。しかし又彼等の或ものは彼の嘲笑を感じる為にも余りに模範的君子だった。
   (中略)
 信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。たとい君子ではないにもせよ、智的貪欲を知らない青年はやはり彼には路傍の人だった。彼は彼の友だちに優しい感情を求めなかった。彼の友だちは青年らしい心臓を持たぬ青年でも好かった。いや、所謂親友は寧ろ彼には恐怖だった。その代りに彼の友だちは頭脳を持たなければならなかった。頭脳を、――がっしりと出来上った頭脳を。彼はどう言う美少年よりもこう言う頭脳の持ち主を愛した。
   (中略)
 信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった。標準は只それだけだった。しかしやはりこの標準にも全然例外のない訣ではなかった。それは彼の友だちと彼の間を截断する社会的階級の差別だった。信輔は彼と育ちの似寄った中産階級の青年には何のこだわりも感じなかった。が、わずかに彼の知った上流階級の青年には、――時には中流上層階級の青年にも妙に他人らしい憎悪を感じた。
(芥川龍之介「大道寺信輔の半生  六 友だち」より)
                            
W ここでは、友人との関係について述べています。非常に厳しい選択が働くということですね。「信輔は才能の多少を問わずに友だちを作ることは出来なかった」というフレーズが3回繰り返されます。
さっき、出身階層のことって、あまり信用できないという話をしましたけど、ここの芥川の表現はおもしろいと感じました。思いあたることがあるというか。僕は大金持ちの知人とか友人って、全くいないんですよ。学生さんのことを考えてみても、そういう人が僕のゼミを希望してきたことは、ほとんどないんじゃないかな。そこは以前から気になってました、なぜなんだろう、って。
K まあ、あの大学にはそういう学生はあまりいません。
W そういうことなのかなあ。人間の無意識のレベルでは、いろいろあるんじゃないのかな。今度、専門家に聞いておきますね。
あと、この芥川の小説で自分の10代の頃の生活を「学校」「本」「友だち」と3つに分けているところが、とても興味深かったです。「本」も「友だち」も実際には、学校の中と深く関係するんだけど、そこを厳密に分ける。この作品の中で芥川が「学校」って言ってるのは、教師とか学科の内容、学校の生徒管理体制のことなんです。「友だち」や「本」は入っていない。
もちろん、通う学校自体は生徒の側で選べるわけだけど、一度入ってしまったら、学校の体制や組織は御仕着せと言うか選べなくなる。そうした、生徒から自由のきかないものを彼は「学校」って呼んでるわけです。
一方、「本」や「友だち」の選択には、大きな自由度があります。芥川なんて、選び方にとても自分の好みが入ってくる。選択の基準も厳しい。でも、「学校」にはそういう選択が働かない。嫌でも何でも受け入れなきゃならない、無理矢理というか。学校は絶対的な力をもってしまう。
K はい。でもたしかにこの分け方は面白いですね。
W さっき、吉本隆明の芥川論に少しふれましたけど、吉本さんには「国家というのは、時々の政府のことだ」という考え方があるんです。ふつうは、もっと広い抽象的なことも含んで考える。自分たちの生活や生きていること自体も国家という枠の中でのことだって。そうすると、自分の国を否定したり、嫌いだとか言いづらくなる。
でも、「国家って、時々の政府のことだ」って考えれば、もっと自由に考えたり、好き嫌いを言えたりする。国家という概念が非常に狭くなる。例えば、僕は今の日本の政府が大嫌いですけど、それを日本という国が嫌いだって言えるんですね。
K それがどう関係しているんですか?
W 芥川が「学校」「本」「友だち」と分けたのは、そういう意味でも鋭いと思うんです。吉本さんの「国家」に当たるのが、芥川では「学校」なんです。国家と同様、学校もそのあたりをあいまいにする。「本」も「友だち」も含めたものとして「学校」を考えさせる。「先生や授業、規則は嫌だけど学校に行くこと自体は否定できないよなあ」と生徒に思わせる。3つを混同させ、わざとあいまいにする。国家も否定できないし、学校も否定できないと思わせる。そんな風に考えるんですけど、どうでしょう?
K なるほど。それはいいですね。
W 僕は芥川が言う意味での「学校」は嫌いでした。「本」や「友人」には、数はあまり多くないけど、とても良い思い出が残っています。
K 僕は「学校」は嫌いでしたが「放課後」は好きでした。
W なにやってたんだか。
自伝って、年をとると作家に限らず多くの人が書きますけど、この芥川の自伝に比べると、「いい気なものだなあ」と感じさせるものが大半です。本気の自己批評も社会批判も感じられないことが多い。自慢話ばっかりで。「自己肯定のすさまじさ」というか。
それから、芥川には「遺書」もあって、これも青空文庫で読めます。自分を責める言葉や遺された家族や知人に対する心遣いに満ちていて痛々しいんですが、読み手にせまってくる迫力は半端なものではありません。
K 現代は芥川龍之介の遺書を移動中に携帯で読める時代であるわけですね。
W 昭和の頃は、芥川の遺書なんて、それこそ芥川龍之介全集でも入手しなければ読めませんでしたからね。

       (201312月  東京・大泉学園にて)

<参考・引用文献>
芥川龍之介 大導寺信輔の半生 1925
――――― 遺書 1927
――――― 猿蟹合戦 1923  
――――― 羅生門 1915
――――― 鼻 1916
――――― 歯車 1927
――――― 或阿呆の一生 1927
――――― 蜃気楼 1927 
――――― 木曽義仲論 1910
太宰治 思ひ出 1933            
(以上  青空文庫より)

芥川龍之介 大導寺信輔の半生・手巾・湖南の扇 他12編 岩波文庫 1990(解説・中村真一郎)
新潮日本文学アルバム13 芥川龍之介 新潮社 1983(評伝 関口安義)
吉本隆明 『悲劇の解読』 筑摩書房 1979
―――― 芥川龍之介の死 『マチウ書試論 転向論』講談社学術文庫 1990に収録

ドストエフスキー 『死の家の記録』(工藤精一郎訳)新潮文庫 18621973

2013年11月16日土曜日

第38章 入れ札

--入れ札」は作家の菊池寛が1921年(大正10年)に書いた短編小説。1925年(大正14年)には、同名の戯曲(芝居の脚本)も発表している。江戸時代の侠客、国定忠次が役人を斬り、故郷の赤城山を逃亡した際に、同行する子分3人を入れ札(選挙)で決めたという話を扱っている。(まとめ・渡部)--

W 今回は、菊池寛の小説「入れ札」です。小池さん、菊池寛の作品は、何か読んだことありましたか?
K 「父帰る」は部分的に読んだことがあるかもしれませんが、それくらいですね。
W 僕も数点しか読んだことありませんでした。青空文庫には、現在77点入っています。「父帰る」の外では「恩讐の彼方に」「藤十郎の恋」「屋上の狂人」「俊寛」「忠直卿行状記」などが有名ですが、2002年にテレビドラマになった「真珠夫人」といった長編小説もあります。幅広い作風で、多くの読者が面白いと思えるような大衆的な作品を書きました。自分本位ではなく読者本位の作品が多いというか、読者に寄り添うというか。
K 「真珠夫人」は菊地寛の原作でしたか。
W そうそう。ずいぶん話題になりましたよね。それに子供向けの翻訳も多くて、青空文庫にも、トルストイの「イワンの馬鹿」や、「アラビアンナイト」、アルセーヌ・ルパン・シリーズの「奇巌城」、それに「フランダースの犬」やアンデルセングリムの童話なんかが載っています。
K どれも有名な作品ですね。
W ルパンの「奇巌城」とか懐かしいなあ。きっと僕の読んだのは、菊池寛の翻訳ではなかったと思いますが。僕らの世代は、小学校高学年でアルセーヌ・ルパンやシャーロック・ホームズ、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズとか読んだものです。ルパンとか読みました?
K いや、読みませんでした。
W なぜか、中高校生ぐらいになると面白くなくなるんですけどね、ああいう小説が。陰影のある人物というか、鬱屈した主人公やニヒリストが出て来ないと満足できなくなる。まあ、小学生から中高生への心の変化が原因でしょう。複雑になるというか屈折してくる。
K そうですか。
W それから、36章で小林秀雄の文章を紹介しましたが、菊池寛は講演も上手だったようです。出版社の文藝春秋を作って社長になりましたが、他にもいろんな逸話が残されていて、「天才・菊池寛――逸話でつづる作家の素顔」(文藝春秋編)という本も出ています。
K 多才な人だったんですね。
W 僕が一番印象深いのは、将棋の好きな菊池寛が、勝負に夢中になると、タバコの吸い殻を畳にこすりつけるので、畳がすぐ真っ黒になってしまったという話です。いかにも奔放なこの人だったら、ありそうなエピソードに思えて、嬉しくなってしまいます。
 この「入れ札」という小説、岩波文庫で17ページ、新潮文庫で20ページですから、短編小説ですね。1921年(大正10年)、菊池寛が34歳の時の作品ですが、彼の選集などにもよく入っていて、代表作の一つのようです。
また、4年後には、この小説を戯曲化しています。以前取り上げた岡本綺堂の「籠釣瓶」もそうでしたが、同じ人が小説と戯曲の両方を書いているので、2つ並べて読んでみると、作り方の違いがよくわかります。
K それは面白いですね。
W 小池さんは、この作品、どう思いましたか?
K わかりやすくてなかなか面白かった、という感じですかね。
W 僕は社会学のテキストに良いというか、格好の題材になるなあ、と思いながら読んだんですけどね。
K そうですね、そうかもしれない。
W 深作欣二監督の「バトルロワイヤル」という映画も思い出しました。人間が閉ざされた環境というか、小さな集団の中で、人の眼や息づかいを気にしながら生きていかなければならない悲しさや虚しさが、良く描かれています。
K ええ。
W この「入れ札」という作品、江戸時代の侠客、国定忠次が役人を斬って、故郷の赤城山を逃亡する時のことを書いています。忠次は忠治という表記をする場合も多いようです。
侠客は「義侠、任侠を建て前として世渡りする人、町奴、博徒など」(goo辞書)ですが、江戸時代ですと、国定忠次のほかに、清水の次郎長とか幡随院長兵衛とかが有名です。国定忠次って名前、聞いたことありました?
K ええ、知ってますよ。
W 実在の人物で、歴史の研究書にも記述がありますが、新国劇のような大衆演劇や講談でもよく取り上げられました。いわゆるスーパーヒーローですね。映画では伊藤大輔監督の「忠次旅日記」(1927年)という名作があります。歌舞伎では観たことありませんけど。
それに、僕らの世代ですと、1960年代にはじまった桃屋の佃煮のテレビCMの印象が強烈です。国定忠次に扮した三木のり平のアニメが出て来て、「赤城の山も今夜限りか」という決めぜりふを言うんです。この間、ユーチューブで50年ぶりに見て感動しました。クレオパトラ編とかも面白いんですけど。三木のり平、知らないでしょ?僕は大好きですね。
K アニメバージョンで知ってます。あれが国定忠治だったんですね。
W この「入れ札」という小説、前半と後半で主人公が違います。前半は国定忠次ですが、後半は彼の昔からの子分の稲荷の九郎助という人物です。能楽でいうと「ワキ」と「シテ」の関係にあたります。本当の主人公というか、能の「シテ」にあたるのは九郎助の方です。
 
 国越をしようとする忠次の心には、さすがに淡い哀感が、感じられていた。が、それよりも、現在一番彼の心を苦しめていることは、乾児の始末だった。赤城へ籠った当座は、五十人に近かった乾児が、日数が経つに連れ、二人三人潜かに、山を降って逃げた。捕方の総攻めを喰ったときは、二十七人しか残っていなかった。それが、五六人は召捕られ、七八人は何処ともなく落ち延びて、今残っている十一人は、忠次のためには、水火をも辞さない金鉄の人々だった。国を売って、知らぬ他国へ走る以上、この先、あまりいい芽もでそうでない忠次のために、一緒に関所を破って、命を投げ出してくれた人々だった。が、代官を斬った上に、関所を破った忠次として、十人余の乾児を連れて、他国を横行することは出来なかった。人目に触れない裡に、乾児の始末を付けてしまいたかった。が、みんなと別れて、一人ぎりになってしまうことも、いろいろな点で不便だった。
                      (菊池寛「入れ札」より)

W 乾児(かんじ)というのは、子分のことですね。おたずね者になった忠次に従う子分が50人近くから11人に減ってしまったことが、まず示されます。ただ、これからのことを考えると11人全部を連れて行くのも難しい。そこで、どうしたらいいのか忠次は悩むわけです。この忠次の悩みから、具体的にどうするのか決まるまでが、この小説の前半部分です。
K テンポ良く進んでいきますね。

皆一様に、自分のために、一命を捨ててかかっている人々の間に、自分が甲乙を付けることは、どうしても出来なかった。剛腹な忠次も、打ち続く艱難で、少しは気が弱くなっている故もあったのだろう。別れるのなら、いっそ皆と同じように、別れようと思った。
                   (菊池寛「入れ札」より)

W 忠次は、まず「一人で行こう、子分11人とは全員別れよう」と思って、そう子分たちに言います。「金は全員で分けよう」という提案もします。彼は連れていく子分と連れていかない子分に分けたくなかったということですね。
K 結局この最初の案が一番良かったのかもしれません。
W ところが、子分達はその意見に誰も賛成しません。全員連れて行くのは無理だとしても、何人かは連れて行ってほしいと言いだします。そこはみんな同じ意見なんですが、具体的な選び方については意見がまとまりません。
忠次に具体的な選び方を示してほしいと言うんですが、忠次は何も言わず、子分達の意見を聞いています。大正時代の小説ですけど、ある意味とても民主的なリーダーなんですね、忠次は。自分の意見を押し通さない。
K まあまあ疲れていたんでしょう。
W このあたりは、小説より戯曲の方が詳しいんですが、戯曲ですと、まず、人望のある浅太郎という子分が、「あっさり名指ししてほしい」と言いますが、忠次は「名指しをするくらいなら、手前たちに相談はかけねえや」「みんな命を捨てて働いてくれた手前たちだ。俺の口から差別はつけたくないのだ」と言います。
K なるほど。
W このあと、子分達は皆、自分が選ばれるような方法を提案しますが、それに対して他の子分達は反対します。「くじ引き」、「杯をもらった年代順」、「年齢順」、「腕っ節の強さ」、「有能さ」、「親分に心酔している強さ」などが持ち出されますが、いずれも反対が強くまとまりません。
 時間をかけて子分に言いたい事を言わせたあと、忠次が口を開きます。

忠次は、黙々として、みんなの云う事を聴いていた。二三人連れて行くとしたら、彼は籤引では連れて行きたくなかった。やっぱり、信頼の出来る乾児を自ら選びたかった。彼は不図(ふと)一策を思い付いた。それは、彼が自ら選ぶ事なくして、最も優秀な乾児を選み得る方法だった。
「お前達の様に、そうザワザワ騒いでいちゃ、何時が来たって、果てしがありゃしねえ。俺一人を手離すのが不安心だと云うのなら、お前達の間で入れ札をしてみちゃ、どうだい。札数の多い者から、三人だけ連れて行こうじゃねえか。こりゃ一番、怨みっこがなくって、いいだろうぜ」
 忠次の言葉が終るか終らないかに、「そいつぁ思い付きだ」乾児のうちで一番人望のある喜蔵が賛成した。                 
                      (菊池寛「入れ札」より)

W 喜蔵は、この方法なら自分が一番に選ばれると思ったんでしょうね。結局、この忠次の提案が採用されます。よく会議で、結論は最初から決まっているんだけど、参加者に言いたいことを言わせて、一見民主的な方法を取ったように思わせる「ガス抜き」という方法があるけど、ここでの忠次は、本当に何も決めていなかったようですね。入れ札(選挙)という方法は、子分の話し合いを聞いていて思いついたようです。無記名で1名単記の投票ですけど。
K 誰が投票したかは書かず、誰か一人の名前を書くということですね。
W 実際の国定忠次がどんな人だったかは不明ですが、この菊池寛の作品の中の忠次はどんな人だったと思いますか?
K そうですねえ。むしろあまり人物像が描かれていないという印象を持ちました。あえてどんな人だったかがぼやかされているような。
W そこは僕も同じように思いました。無色透明というか、はっきり書かないような感じですね。存在感があまりない。
侠客の親分って、案外こういうおとなしい地味な感じの人の方がうまくいくのかな。歌舞伎の「湯殿の長兵衛」に出てくる幡随院長兵衛も同じような感じです。最後は、水野十郎左衛門という武士の家に、自ら一人で殺されに行くんだけど。
小池さんが忠次だったら、11人の子分を減らすために、どうしますか?
K やっぱり無理にでも全員と別れると思いますね。
W あ、そこも同じだ。どうしちゃったんだろう、今日は。具体的に言うと、僕なら「ごめん」とか置手紙して、みんなの寝てるうちに逃げてきちゃいますね。
K それ、実際に先生がよくやるやつじゃないですか。
W 忠次の最初の決意表明「自分は一人で行くから、ここで解散」と言うのは良いと思うんです。でも、子分に反対されるのが見え見えなら、宣言せずに置手紙して逃げちゃえばいい。男らしいでしょ。
K 男らしいかどうかわかりませんが、その方法は僕もわりと賛成ですね。
W 僕も昔は学生さんに結構人気があって、ゼミ希望の学生さんとか多かったんですよね。最近は、長期凋落傾向で全然集まらないけど。小池さんの学年の時も多かったですよね。
K ああ、多かったです。
W あの時は希望者全員に入ってもらったけど、やはりこの作品の忠次と同じような気持ちでした。学生を評価したり、選んだりしたくない。選ぶと、「なんであの先生は、Aさんを選んでBさんは選ばなかったんだろう」と思われるのが恐いというか。
この菊池寛の作品の面白いところは、忠次が内心、一緒に来てほしい3人は決めているのに、それを言いだせないところなんですね。「集団の悪」や「リーダーの持たざるを得ない矛盾」を自分に引き受けられないというか、泥をかぶれない。そこのところが印象的です。
K なるほど、そうも読めますね。
W とにかく入れ札(選挙)をすることが決まります。ここまでが前半です。

 先刻からの経路を、一番厭な心で見ていたのは稲荷の九郎助だった。彼は年輩から云っても。忠次の身内では、第一の兄分でなければならなかった。が、忠次からも、乾児からも、そのようには扱われていなかった。(中略)皆は表面こそ『阿兄!阿兄!』と立てているものの、心の裡では、自分を重んじていないことが、ありありと感じられた。
 入れ札と云う声を聴いたとき、九郎助は悪いことになったなあと思った。今まで、表面だけはともかくも保って来た自分の位置が、露骨に崩されるのだと思うと、彼は厭な気がした。十一人居る乾児の中で自分に入れてくれそうな人間を考えてみた。が、それは弥助の他には思い当らなかった。
                     (菊池寛「入れ札」より)

W この九郎助は、戯曲の方では、「五十に近き老人」との説明が載っています。一番古くからいる子分です。でも、他の子分からの人望もないし、忠次自身にも最近、あまり評価されていない。それで、「入れ札」(選挙)という声を聞いて、あわてるわけです。とても気持ちはよくわかりますね。「五十に近き老人」というのはすごいけど。
K こういう経験ありますか?
W あまり言いたくないけど、60年も生きていると結構ありますね。自分から望んだり、立候補したことは、一度もありませんけど。このあと、九郎助は心のうちで票読みをするわけですけど、楽観はできないと思うわけです。

弥助は筆を渡すときに、九郎助の顔を見ながら、意味ありげに、ニヤリと笑った。それは、たしかに好意のある微笑だった。『お前を入れたぜ』と云うような、意味を持った微笑であるように九郎助は思った。そう思うと、九郎助は後のもう一枚が、どうしても欲しくなった。後の一枚が、自分の生死の境、栄辱の境であるように思われた。忠次に着いて行ったところで、自分の身に、いい芽が出ようとは思われなかったが、入れ札に漏れて、年甲斐もなく置き捨てにされることがどうしても堪らなかった。浅太郎や喜蔵の人望が、自分の上にあることが、マザマザと分かることが、どうしても堪らなかった。
                  (菊池寛「入れ札」より)

W ここでは、自分の今後や忠次のことよりも、入れ札に落ちる事の屈辱の方により苦しめられている九郎助が描写されます。そして、このあと、九郎助は、自分の名前を投票用紙に記入します。そして仲の良い弥助の票と合わせて、少なくとも2票は入るだろうと思うわけです。このあたり、どうですか?
K せつないです。

 九郎助は、心の裡で懸命に弥助の札が出るのを待っていた。弥助の札が出ないことはないと思っていた。もう一枚さえ出れば、自分が、三人の中に入るのだと思っていた。
 が、最後の札は、彼の切ない期待を裏切って、喜助に投ぜられた札だった。
(中略)
 忠次は自分の思い通りの人間に、札が落ちたのを見ると満足して、切り株から、立ち上った。
                  (菊池寛「入れ札」より)

W 結局、九郎助には、自分の書いた1票しか入らず、忠次についてゆく3人の中には入れなかったわけです。
K ええ。
W自分以外の人間が、なに考えてるかなんて、全然分からないものね。自分をどう評価してくれてるか、なんてことも同様です。もちろん、この小説のような非常時じゃなければ、こうした事態は、なかなか起こらないんでしょうけど。
K 急いで逃げている非常時に投票なんてしているって考えると面白いですね。
W あはは。なるほど、そうですね。
中学校のクラス委員の選挙なんて典型的にそうだけど、修学旅行で、「一緒に行動するグループの人を自由に選んで良い」なんて時も、この作品と同じようなことが起こりますよね。一見、民主的な方法なんだけど、とても残酷なことが起こりえる。自分がまわりの人にどう思われているのかが、はっきり露呈する。友達が何人かいると思ってたのに、実は一人もいなかったとか。ああ、厭だ、厭だ。
K たしかにね、そういうことありますよね。

 九郎助は、忠次と別れるとき、目礼したままじっと考えていた。落選した失望よりも、自分の浅ましさが、ヒシヒシ骨身に徹えた。札が、二三人に蒐まっているところを見ると、みんな親分の為を計って、浅や喜蔵に入れたのだ。親分の心を汲んで、浅や喜蔵を選んだのだ。そう思うと、自分の名をかいた卑しさが、いよいよ堪えられなかった。
                 (菊池寛「入れ札」より)

W 九郎助は自分のとった行動を反省するんです。このあたり、どう思いますか?
K こんなことをした気持ちは分からないではないですが、人間やっぱり引き際が大事です。
W 耳が痛いな。

九郎助は、返事をする事さえ厭だった。黙ってすたこら歩いていた。
 弥助は、九郎助が機嫌が悪いのを知ると、傍へ寄った。
 「俺あ、今日の入れ札には、最初から厭だった。親分も親分だ!餓鬼の時から一緒に育ったお前を連れて行くと云わねえ法はねえ。浅や喜蔵は、いくら腕節や、才覚があっても、云わば、お前に比べれば、ホンの小僧っ子だ。たとい、入れ札にするにしたところが、野郎達が、お前を入れねえと云うことはありゃしねえ。十一人の中でお前の名をかいたのは、この弥助一人だと思うと、俺あ彼奴(あいつ)等の心根が、全くわからねえや」
 黙って聞いた九郎助は、火のようなものが、身体の周囲に、閃いたような気がした。
 「この野郎!」そう思いながら、脇差の柄を、左の手で、グッと握りしめた。もう、一言云って見ろ、抜打ちに斬ってやろうと思った。
 が、九郎助が火のように、怒っていようとは夢にも知らない弥助は、平気な顔をして寄り添って歩いていた。
 柄を握りしめている九郎助の手が、段々緩んで来た。考えてみると、弥助の嘘を咎めるのには、自分の恥しさを打ち明けねばならない。
 その上、自分に大嘘を吐いている弥助でさえ、自分があんな卑しい事をしたのだとは、夢にも思っていなければこそ、こんな白々しい嘘を吐くのだと思うと、九郎助は自分で自分が情けなくなって来た。口先だけの嘘を平気で云う弥助でさえが考え付かないほど、自分は卑しいのだと思うと、頭の上に輝いている晩春のお天道様が、一時に暗くなるような味気なさを味わった。
              (菊池寛「入れ札」より)

W 小説は、この後、短い情景描写があって終わります。この菊池寛の小説と戯曲、ここまではほとんど同じ内容なんですが、戯曲の方はこれで終わりません。大きく動きます。

九郎助  手前、うそをつくと叩っ切るぞ。
弥助   論より証拠、お前の名前が一枚出たじゃねえか。
九郎助 (先刻、丸めた中より忙しく一の紙片をよりだしながら)これを手前が書いたというのか。仲間の中で能筆の手前が、こんな金くぎの字を書くか。
弥助   ううむ。(狼狽する)
九郎助  これでも書いたというのか。
弥助   兄い、かんにんしてくれ。兄いわるかった!うそをついた俺を叩っ切ってくれ!
九郎助  (脇差に手をかける、が、すぐ思い返す)よそう。たった一人の味方と思う手前にだって、心の中では意気地なしと見限られている俺だ。手前を叩っ切ったって何にもなりゃしねえ。
弥助   だが不思議だな。俺が、書かないとしたら、それを誰が書いた
         んだろう。
     (弥助紙片をみつめる。九郎助あわてて丸める)
弥助   誰が書いたんだろう。(ふと、気がつく)兄い、まさかお前が自分で書くようなけちな真似はしねえだろうな。
九郎助  なな何をいう。(ふと気が変って急に泣く)弥助かんにんしてくれ。意気地なしの卑怯者を、手前親分の代りに成敗してくれ!
     (九郎助わっとすすりなく)
      ―――幕―――
              (菊池寛「入れ札」戯曲版より)

W 小説と戯曲、小池さんはどっちの終わり方の方が好きですか?
K 小説のほうですね。戯曲の最後は、ちょっと可哀そうすぎます。
W なるほど。僕はどっちもありだと思うんですけど。芝居の脚本は、劇としての効果も考えなくてはならないので、表現がどうしてもオーバーになるということはあるのかもしれません。小説の方が、後味の良い終わり方かな。
最後に推理作家の松本清張の文章をあげておきます。

 菊池寛の小説に『入れ札』というのがあります。短編小説ですが、戯曲もある。その筋は、国定忠治が赤城の山を追われて、大戸の関所を破って信州にのがれる。そのときに、たくさん連れてきた子分を全部連れてゆくわけにいかないから、その中から三人だけ選ぶことにします。けれども自分が名指しするわけにはいかないから、入れ札をさせる。つまり選挙をするわけで、それをやるときに、忠治についていた一人の子分が、親分を慕って、なんとかついてゆきたいというので、たいへん卑劣な行為であったけれども、入れ札に自分の名前を書くのであります。これは、大変よくできた小説ですが、これには、かなり有名なネタがあります。それは、明治末から大正にかけて一時有名だったある作家が、だんだん没落して、作品の評判もかんばしくなく、世間から忘れられようとしていました。そして、あるとき、ある団体の役員の改選があったときに、なんとかして団体の役員にだけでも自分の名をとどめておきたいという焦燥から、投票用紙に自分の名前を書いたという事件があったのです。それをなまのまま書くわけにはいきませんから、菊池寛が国定忠治の講談の世界に持っていって描いた、というわけであります。そういうように、ある人間真理をひき出し、それをべつの方法におきかえるということは、帰納法でも演繹法でもなく、それらが渾然と一体になったものではないかと思います。
               (松本清張  「随筆・黒い手帖」より)

W 菊池寛がこの作品を思いついたきっかけについて、松本清張が書いているわけです。ここに出てくる「一時有名だったある作家」って、誰の事だか全然分からないんですけど。
 僕は「自分の名前を書くのって、そんなに悪い事なんだろうか」って思ったんですけど。「大変卑劣な行為であったけれども」って、そんなに恐縮しなきゃならない行為なのかな。
今の国会議員を選ぶ選挙なんか、候補者は全員、自分の名前を書いてますよね。そのあたり、どうなんだろう。政治家っていうのは、良心をどこかに置き忘れた恥知らずな人ばっかりで、そこが違うということなのかなあ。ああいう人たちとは、一緒に出来ないというか。でも政治家以外の人でも、状況次第で、同じようなことは、起こり得ると思うんだけど。
K そうですねえ。それほど悪いことだとは思いませんね。国会の選挙は先に立候補しているのですから、ちょっと話が違いますが。
W とにかく、この「入れ札」という作品は、「集団と個」や「リーダーとそれに従う人」「人間のプライドと羞恥心」「他人の心のわからなさ」「自己評価と他人からの評価の乖離」とか、いろんなことを考えさせてくれます。自分が、国定忠次や九郎助、あるいはその場にいた他の子分になったつもりで読むと一段と面白いと思いますけどね。
K 11人から3人っていうのも絶妙な数ですよね。34人から1人という。
W 作劇法としては、「九郎助に1票だけ入る」ってのがミソですね。それで、彼はすべての事が分かってしまうわけですから。上から、4票、4票、2票と入って九郎助は1票だった。子分が全部で11人という数は絶妙です。それから、忠次は投票しなかったんですね。親分が投票したら変か。
松本清張は著名な推理作家で、今でもよく読まれています。1909(明治42)と太宰治と同じ年生まれですが82歳まで生きました。清張は菊池寛のことが好きで、いろいろと影響をうけているようです。
松本清張の随筆は珍しいんですが、この「随筆・黒い手帖」は以前、新潮文庫で読んでいて、最近、アマゾンのキンドルというタブレット(小型のコンピュータ)で読み返しました。キンドルでは、201311月現在、松本清張の作品が、文庫本にして130冊以上読めるんです。読めない作品の方が少ないくらいです。
 話が大きくそれるんですが、僕は今年の初めから、このキンドルの一番大きい8,9インチ版というのを使っているんですけど、本当に便利です。青空文庫の小説も沢山読めます。
K どんなところが便利なんですか?
W メールやサイトの閲覧もできますが、とにかく、本を買って読むのがとても簡単になりました。それに、年をとってくると眼が悪くなって、活字を読むのがだんだん億劫になってきます。特に文庫本なんかの小さい字の本は。そういうお年寄り、多いと思いますけど。ところがこの機械を使うと、字をいくらでも大きくできます。もちろん、普通のコンピュータでも出来ますが、キンドルは特に上手に作ってあります。
K CMでやってるのをみると、よさそうですね。
W 第2次世界大戦が終わったのが、1945年(昭和20年)で、今年が2013年(平成25年)だから、戦後、もう68年経ってるわけですよね。その間、戦後を区分する試みがいろんな人によって、おこなわれています。もし僕が戦後を2つに分けるとしたら、1995年なんです。戦後50年目の年ですね。
K どうしてですか?
W この年に、インターネットの利用が本格的に出来るようになったからです。「戦後を2分するなら1995年が分かれ目だ」と言ってる人は、すでにいらっしゃるんだろうとは思いますが。
僕はwindows95というOSのソフトを買いに、発売日の夜、学生さんと店に並んだことを覚えています。メールやサイトの閲覧など、便利なものだとは買ってすぐに分かったけど、まさかこれほど毎日の生活を大きく変化させるものだとは思っていませんでした。
K 本当にそうですよね。
W インターネットの登場で戦後68年は、大きく2分される。他のどんな変化より、この変化は大きかったと思ってるんです。インターネットの出現までに50年、出現してから今年で18年ですね。
K そのことと、さっきのキンドルの話は、どうつながるんですか?
W 2分法で考えれば、1995年の変化が一番大きかったと今でも思っています。ただ、僕個人のことに限って言えば、今年、2013年と言うのも結構、大きな年なんです。さっきも、言いましたように、本の読み方が全く変わった。今、61歳なんですが、60年と1年という区分けが出来ます。まあ、生まれて34年は本なんか読めなかったんでしょうけど。
K 本の読み方が変わるっていうのも、大きなことですよね。
W 僕は、活字さえ目に入れば、全く退屈しないんですけど、どこでもキンドルを持ち運べるので、いつでも本が読めます。何百冊もの本を携帯できる。活字も大きくできるし、便利な機能もいろいろと備わっていて、本を読むという行為自体が一変しました。読める本もこれからもっと増えていくでしょうし。キンドルの本体自体は2万円台で買えてしまうんですね。死ぬまで退屈しないですみそうです。

前回の「山月記」について

W ところで、前回の「山月記」について、僕の高校時代の友人がメールをくれました。以前、ポーの「盗まれた手紙」についての彼の感想を紹介したことがあります(第24章)。
K ありましたね。
W この小池さんとのブログ、今回で23回目なんですけど、僕の友人は一度も欠かさず、とても参考になる感想を寄せてくれています。今回のメールについては、ブログ上に掲載してもよいという許諾を貰いましたので、紹介させてもらいます。

お元気でしょうか。

中島敦の「山月記」高校時代に戻れるような気がして、もう一度読んでみました。
驚いたことに文章の簡潔さはもちろん、内容に対して思うことも高校時代と同じでした。
テーマに普遍性があるのか、こちらが進歩していないのか、どちらか分かりませんが、同じように感動しました。

あえて違う感想を探すと、一つは、渡部君が指摘されていた「偉い先生につくとか、ライバルとの切磋琢磨とか必要なのかしら?」という疑問です。
これはとても納得のいくもので李徴の友人が見抜いたように、この発言に李徴の才能の限界を見たような気がしました。
高校生の頃であれば、そういったことも必要と考えていたかも知れませんが、今なら「自分がよしとしたものこそ最高の評価とすべきだ。」と李徴に言いたい気分です。
結局、李徴は自分の作品が好きではなかったのでは。そこが世間の評価以前に、本当は李徴を一番苦しめたところかも知れません。
作者自身が好きでないものは、たとえ他人の評価が高くても、きっと無意味だったでしょう。

もう一つは、これは青空文庫の多くの日本文学に共通していますが、作者がもっと楽しみながら創作をすれば、自ずと扱うテーマも変わってきたのではと思える点です。
作品を絵画で例えると、水墨画に似て白と黒およびその中間にある無数のグレーで構成されているような気がします。そして白と黒に執拗にこだわる生真面目さがあります。
例えば李徴が一度も笑ったことが無かったような書き方では、小説としてもあまりにリアリティーに欠けています。
今の若い世代が当時の文学の優れた点は認めながらも、のめりこめない理由は、この保守性にあるのではないでしょうか。
また、当時の小説家の多くが、タバコを手にして斜め横のポーズの写真を残していることに象徴される画一性も、今の若い世代に見抜かれているように思えます。
他のカラフルな色を使うには、度胸も力量も必要ですが、才能ある小説家に、ぜひ挑戦してもらいたかったと思っているのは我がままなのでしょうか。

今読んでも本当に面白い、これが古典の定義だと思います。

またブログで良い本を紹介して下さい。楽しみにしております。急に寒くなります、お体に気をつけて。では。

W まず「山月記」が高校の教科書に載っていたというのが、僕の妄想じゃなかったとわかって良かったです。
K ええ。
W 二人揃って、高校時代も40年以上経った最近も感動してるんですよね。
K 昔とはまた違った感想を持たれたようですね。
W メールの前半で書かれていることについては、どうですか?「自分がよしとしたものこそ、最高の評価とすべきだ」とか、「李徴は自分の作品が好きではなかったのでは」というあたりですが。
K ええ、そうかもしれないなあと思いました。
Wたとえば、この小池さんとのブログ、僕はとても好きでやってるし、楽しいんですよね。だからいつまでもやっていたい。自分の中での評価も高いんです。人になんて言われようと。
若い頃は、調査の報告書なんかを、ずいぶん書き散らしました。研究業績をふやすためだったり、浮き世の義理だったりで、しかたなく。そういうもの書いてるときは、あまり楽しくなかったんです、実は。報告書って割合簡単に書けるんだけど。
K そうですか。僕はわりと何書いてても楽しいですよ。
W 僕の友人が言うように、人の評価と自分の評価は違うものだし、大切なのは自分の評価なんじゃないかしら。
 メールの後半では、青空文庫にのっている日本近代文学の特殊性というか偏りが指摘されていますが、このあたりはどうですか?
K このあたりはよくわかりません。そんなに読んでいないので。
W 確かに僕と小池さんの作品の選び方にも、一定の偏りがあるのかもしれませんが、「笑いが少ない」とか「水墨画の世界のよう」「画一性」という傾向は、たしかにありそうです。
 日本の近代文学の持っている生真面目さや奥深さ自体を、僕は決して嫌いでありません。だけど、そうしたものを根底に持ちながら、より開かれた多様な表現ができている作品を見つけられたら良いですよね。

                    (201311月 東京・大泉学園にて)

<参考・引用文献>
菊池寛   入れ札(小説)(作品ID 478581921
―――   入れ札(戯曲)(作品ID 4861925
―――   恩讐の彼方に 1919  
―――   俊寛 1921
―――   父帰る 1920
―――   藤十郎の恋 1919 
―――   真珠夫人 1920
―――   忠直卿行状記 1918 
中島敦   山月記  1942      
岡本綺堂  籠釣瓶  1916             (以上、青空文庫より)

菊池寛   恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇(解説・小島政二郎) 岩波文庫 1952 
―――   藤十郎の恋・恩讐の彼方に (解説・吉川英治)新潮文庫  1970
―――   ちくま日本文学027 菊池寛 (解説・井上ひさし) 筑摩書房 2008 
文藝春秋編  天才・菊池寛――逸話でつづる作家の素顔  文藝春秋 2013
松本清張  随筆・黒い手帖  中公文庫 2005
講談社編  国定忠治(講談名作文庫25) 講談社 2013 
高橋敏   国定忠治  岩波新書 2000
小林秀雄  考えるヒント3 文春文庫 1976 
――― 作家の顔  新潮文庫 1961