2013年8月19日月曜日

第35章 一房の葡萄

--一房の葡萄」は、作家の有島武郎が1920年(大正9年)に雑誌「赤い鳥」に発表した短編小説。小学校時代の自分の体験を正直に綴っている。有島は武者小路実篤や志賀直哉などとともに「白樺派」を代表する小説家であった。この作品は彼が42歳の時に書かれたが、3年後の1923年に45歳で自殺した。(まとめ・渡部)--

K 毎日、暑いですね。練馬区って東京23区の中でも一番暑いらしいですよ。
W そのかわり、冬は一番寒いから。うまくできています。
K 変な理屈ですね。
W 今回は、有島武郎の「一房の葡萄」です。有島武郎は1878年(明治11年)生まれの作家です。青空文庫には、彼の作品が現在43点入っています。小池さんは、有島武郎のこと、なにか知ってました?
K えーと、名前と白樺派だったってことくらいですかね。武者小路実篤はいくつか読んだことありましたけど。
W 武者小路実篤って、すごく長命で90歳まで生きたんですよね。高校生の頃、なぜか講演を聞いたことがあります、文京公会堂で。彼が始めた「新しき村」の話でしたけど。「白樺派」は、トルストイの人道主義の影響を強く受けたグループでした。 
有島武郎のこと、僕もほとんどなにも知らなかったんです。白樺派の作家で、最後は自殺したということと、新劇俳優の森雅之のお父さんだということぐらいでしたね。森雅之は、黒澤明監督の映画なんかによく出ていた、日本を代表する名優です。
K そうでしたか。
W 小池さん、この「一房の葡萄」という小説、どうでした?
K 少年の罪悪感がうまく表現されているなと思いました。面白かったですよ。
W 僕はこの作品、子どもの時に読んだことがありました。ただ、何歳ぐらいで読んだのかは全然覚えていないんです。それから、今回もう一度読んでみて、「子どもの頃に読んだのは、有島が書いた作品そのものじゃなくて、あとから子ども向きにリライトされた短縮版なのかも知れないな」と思いました。そう感じてしまうほど奥が深くて、大人が読んでも心に響く作品です。
K この作品が最初に掲載された「赤い鳥」という雑誌は、子ども向けの童話もたくさん載っていたんですよね。
W 夏目漱石の弟子の鈴木三重吉が始めた雑誌で、芥川龍之介の「杜子春」とか「蜘蛛の糸」なども掲載されました。あと有島武郎は、オスカー・ワイルドの「幸福な王子」を翻案した「燕と王子」という童話も他の雑誌に書いていて「青空文庫」にも入っています。これも良い話でね。
K 「一房の葡萄」3章構成ですけど、わりと短いものですよね。
W 岩波文庫ですと18ページです。前回の「機械」や前々回の「聖家族」とくらべても、だいぶ短いです。

僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。そしてその学校の行き帰りにはいつでもホテルや西洋人の会社などがならんでいる海岸の通りを通るのでした。通りの海添いに立って見ると、真青な海の上に軍艦だの商船だのが一ぱいならんでいて、煙突から煙の出ているのや、檣(ほばしら)から檣へ万国旗をかけわたしたのやがあって、眼がいたいように綺麗でした。僕はよく岸に立ってその景色を見渡して、家に帰ると覚えているだけを出来るだけ美しく絵に描いて見ようとしました。けれどもあの透きとおるような海の藍色と、白い帆前船などの水際近くに塗ってある洋紅色とは、僕の持っている絵具ではどうしてもうまく出せませんでした。いくら描いても描いても本当の景色で見るような色には描けませんでした。
          (有島武郎「一房の葡萄」より) 

W 上の引用は、この小説の冒頭部分です。小池さんも僕も、横浜はよく知ってるわけだけど、ちょっと雰囲気が違いますよね、この小説の横浜とは。「横浜の山の手」、今で言うと「山手」という地名のあたりだと思いますけど。
僕らが知っている横浜は、ごく普通の大きな都市にすぎないけど、山手となると、古くからある「横浜の中の横浜」です。華やいでいて、今でも外国人が多く住んでるようなイメージがあります。
K 外人墓地とかあるあたりですね。横浜国大のある保土ヶ谷区とは、全然雰囲気が違います。
W 漫画家の東海林さだおさんが、子どもの頃にこの「一房の葡萄」を読んで、あまりに自分の学校生活と環境が違うんで驚いたと書いていました。このあいだから、どの本に載っていたのか探していたんですけど、東海林さん、とてもたくさんの本を書いているので、どの本だったか、結局わかりませんでした。
K 先生の部屋で探すのは、至難の業でしょう。
W この小学校、「教師は西洋人ばかり」なんですね。大変に特殊な学校です。有島武郎は実際に6歳から9歳まで、この作品に描かれている横浜の私立小学校にかよっていたようです。

僕はジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなってしまったのです。胸が痛むほどほしくなってしまったのです。ジムは僕の胸の中で考えていることを知っているにちがいないと思って、そっとその顔を見ると、ジムはなんにも知らないように、面白そうに笑ったりして、わきに坐っている生徒と話をしているのです。でもその笑っているのが僕のことを知っていて笑っているようにも思えるし、何か話をしているのが、「いまに見ろ、あの日本人が僕の絵具を取るにちがいないから。」といっているようにも思えるのです。僕はいやな気持になりました。けれどもジムが僕を疑っているように見えれば見えるほど、僕はその絵具がほしくてならなくなるのです。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W ジムという友だちは、同じクラスの2つほど年上の西洋人で、「背は見上げるほど高かった」と書いてあります。その子の持っている絵具は舶来の上等なもので、主人公の少年は藍と洋紅の2色の絵具がほしくてたまらなくなります。
K 同じクラスでも年の違う子が混じっているっていうのがミソですね。
W なるほど。

僕はかわいいい顔はしていたかも知れないが体も心も弱い子でした。その上臆病者で、言いたいことも言わずにすますような質でした。だからあんまり人からは、かわいがられなかったし、友達もない方でした。昼御飯がすむと他の子供達は活発に運動場に出て走りまわって遊びはじめましたが、僕だけはなおさらその日は変に心が沈んで、一人だけ教場に這入っていました。そとが明るいだけに教場の中は暗くなって僕の心の中のようでした。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W この小説は有島が42歳の時に、自分の小学校・低学年中学年の頃を思い出して書いてるわけですが、「教場の中は暗くなって僕の心の中のようでした」ですからね。すばらしいなあ。こうした表現は、この小説のあちらこちらで見られます。
K いいですねえ。
W 明治以降の小説の中には、10代、20代の青年期の心を洞察した小説がたくさんあると思うんです。漱石で言えば「三四郎」とか「野分」。鴎外で言えば「青年」とか。そこではいろいろな心の状態が描かれていますが、吉本隆明さんば、内向性とか消極性とかが一番大きな特徴じゃないかと言うんです。「ぐずぐず、もやもやしていて外からは、はっきり見えない内面性」みたいなものだと思いますが。やはり、そうした内向性・消極性が青年期の一番の特質ですからね、今も昔も。読者もそういう記述を喜んで受け入れた。
こうした傾向は明治から昭和にかけての日本文学では、ごく普通に見られたと思います。でも、この有島武郎の「一房の葡萄」の主人公は、10歳にもならない子どもですからね。彼の暗い心を、いろんな角度から描写しています。そこがこの小説の大きな特徴です。
K このブログでとりあげるものには、とくに多い傾向がありますね。
W この小説にも「暗い心」「孤独な心」についての鋭い洞察があるんです。今回読んでみて、そこのあたり、とても良くできていると思いました。子供の頃読んだ時には、全然わからなかったんですけど。
K そうですか。子どものころのほうがより共感できそうですけどね。
W 東海林さだおさんと同じで、小説自体の雰囲気に圧倒されて、そこまで深く読めなかったように思います。

教場に這入る鐘がかんかんと鳴りました。僕は思わずぎょっとして立上がりました。生徒達が大きな声で笑ったり呶鳴ったりしながら、洗面所の方に手を洗いに出かけて行くのが窓から見えました。僕は急に頭の中が氷のように冷たくなるのを気味悪く思いながら、ふらふらとジムの卓の所に行って、半分夢のようにそこの蓋を揚げて見ました。そこには僕が考えていたとおり雑記帳や鉛筆箱とまじって見覚えのある絵具箱がしまってありました。なんのためだか知らないが僕はあっちこちを見廻してから、誰も見ていないなと思うと、手早くその箱の蓋を開けて藍と洋紅との二色を取上げるが早いかポケットの中に押込みました。そして急いでいつも整列して先生を待っている所に走って行きました。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W 新潮社から出ている「新潮日本文学アルバム9 有島武郎」には、遠藤祐さんという方が書いた長い評伝が載っています。

 武郎の通ったのは山手の横浜英和学校であった。明治十七年から二十年まで、そのあいだに、童話『一房の葡萄』に語られる、同級生の絵の具を盗んだことがわかって、若い女の先生から優しくさとされた事実を体験した。<僕>の通学路だった<海岸の通り>は、いまも山手の丘へまっ直にのびている。
(遠藤祐「評伝」新潮社日本文学アルバム9 有島武郎 新潮社 1984 より)

W 武郎が同級生の絵具をとってしまったという事件は、本当にあったようです。
K なるほど。
W まあ、だれにだっていろいろありますよね、これぐらいのことは。好きな女の子の上履き、隠しちゃったとか。覚えているかいないか、自分の心にどれだけ正直かどうかの違いなんで。
K ありますね。僕にもありまくります。
W あはは。いいですね。
 
教場を出る鐘が鳴ったので僕はほっと安心して溜息をつきました。けれども先生が行ってしまうと、僕は僕の級で一番大きな、そしてよく出来る生徒に「ちょっとこっちにお出で」と肱の所を摑まれていました。僕の胸は宿題をなまけたのに先生に名を指された時のように、思わずどきんと震えはじめました。けれども僕は出来るだけ知らない振りをしていなければならないと思って、わざと平気な顔をしたつもりで、仕方なしに運動場の隅に連れて行かれました。
「君はジムの絵具を持っているだろう。ここに出し給え。」
 そういってその生徒は僕の前に大きく拡げた手をつき出しました。そういわれると僕はかえって心が落着いて、
「そんなもの、僕持ってやしない。」とついでたらめをいってしまいました。そうすると三四人の友達と一緒に僕の側に来ていたジムが、
「僕は昼休みの前にちゃんと絵具箱を調べておいたんだよ。一つも失くなってはいなかったんだよ。そして昼休みが済んだら二つ失くなっていたんだよ。そして休みの時間に教場にいたのは君だけじゃないか。」と少し言葉を震わしながら言いかえしました。
 僕はもう駄目だと思うと急に頭の中に血が流れこんで来て顔が真赤になったようでした。すると誰だったかそこに立っていた一人がいきなり僕のポケットに手をさし込もうとしました。僕は一生懸命にそうはさせまいとしましたけれども、多勢に無勢でとても叶いません。僕のポッケットの中からは、見る見るマーブル球(今のピー球のことです)や鉛のメンコなどと一緒に二つの絵具のかたまりが摑み出されてしまいました。「それ見ろ」といわんばかりの顔をして子供達は憎らしそうに僕の顔を睨みつけました。僕の体はひとりでにぶるぶる震えて、眼の前が真っ暗になるようでした。いいお天気なのに、みんな休時間を面白そうに遊び廻っているのに、僕だけは本当に心からしおれてしまいました。あんなことをなぜしてしまったんだろう。取り返しのつかないことになってしまった。もう僕は駄目だ。そんなに思うと弱虫だった僕は淋しく悲しくなって来て、しくしくと泣き出してしまいました。
「泣いておどかしたって駄目だよ」とよく出来る大きな子が馬鹿にするような憎みきったような声で言って、動くまいとする僕をみんなで寄ってたかって二階に引張って行こうとしました。僕は出来るだけ行くまいとしたけれどもとうとう力まかせに引きずられて梯子段を登らせられてしまいました。そこに僕の好きな受持ちの先生の部屋があるのです。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W 上の引用では、友人の絵具をとったことが、同級生にわかってしまい、彼らに取り囲まれて、先生の部屋に連れて行かれる様子が描かれています。
K この追い詰められていく感じ、よくわかるなあ。

「あなたはもう泣くんじゃない。よく解ったらそれでいいから泣くのをやめましょう、ね。次の時間には教場に出ないでもよろしいから、私のこのお部屋に入らっしゃい。私が教場から帰るまでここに入らっしゃいよ。いい。」と仰りながら僕を長椅子に坐らせて、その時また勉強の鐘がなったので、机の上の書物を取り上げて、僕の方を見ていられましたが、二階の窓まで高く這い上った葡萄蔓から、一房の西洋葡萄をもぎって、しくしくと泣きつづけていた僕の膝の上にそれをおいて静かに部屋を出て行きなさいました。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W 「僕」は、女性の先生の部屋へ連れて行かれました。若い西洋人なんですが。このあとが、この小説の一つの山場です。この先生は、「僕」に絵具をとったことの事情は聞くけど、全然叱らないんですよ。ここのところは、子供の頃、読んだ時もハッとしました。よく覚えています。どうですか、ここのあたり。
K いい先生だなあ、と思います。
W 僕も研究室の窓を開けると、葡萄の木があって、部屋に来た人にあげられたらいいなあ。同じ横浜なんだし。
K あそこにですか?もしあったら、だいぶ違和感ありますよ。あったとしても、甘いもの駄目だから自分では食べれないですね、先生の場合。
W 自分で食べるんじゃなくて、来た人にあげるの。

「そんなに悲しい顔をしないでもよろしい。もうみんなは帰ってしまいましたから、あなたはお帰りなさい。そして明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ。あなたの顔を見ないと私は悲しく思いますよ。屹度(きっと)ですよ。」
 そういって先生は僕のカバンの中にそっと葡萄の房を入れて下さいました。僕はいつものように海岸通りを、海を眺めたり船を眺めたりしながらつまらなく家に帰りました。そして葡萄をおいしく食べてしまいました。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W 上の引用の最後のところ、「そして葡萄をおいしく食べてしまいました」というところがとても好きなんですけどね。
「僕」は翌朝、気が重くて学校に行きたくないんです。けれども、なんとか校門のところまでやってきます。

そうしたらどうでしょう、先ず第一に待ち切っていたようにジムが飛んで来て、僕の手を握ってくれました。そして昨日のことなんか忘れてしまったように、親切に僕の手をひいてどぎまぎしている僕を先生の部屋に連れて行くのです。僕はなんだか訳がわかりませんでした。学校に行ったらみんなが遠くの方から僕を見て「見ろ泥棒の嘘つきの日本人が来た」とでも悪口をいうだろうと思っていたのにこんな風にされると気味が悪い程でした。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W ジムが「僕」のところへ飛んできて、手を握ります。そして女の先生のところへ連れて行こうとします。
K 読者としても驚く場面ですね。

二人の足音を聞きつけてか、先生はジムがノックをしない前に、戸を開けて下さいました。二人は部屋の中に這入りました。
「ジム、あなたはいい子、よく私の言ったことがわかってくれましたね。ジムはもうあなたからあやまって貰わなくってもいいと言っています。二人は今からいいお友達になればそれでいいんです。二人とも上手に握手をなさい。」と先生はにこにこしながら僕達を向かい合せました。僕はでもあんまり勝手過ぎるようでもじもじしていますと、ジムはいそいそとぶら下げている僕の手を引張り出して堅く握ってくれました。僕はもうなんといってこの嬉しさを表せばいいのか分らないで、唯恥しく笑う外ありませんでした。ジムも気持よさそうに、笑顔をしていました。先生はにこにこしながら僕に、
「昨日の葡萄はおいしかったの。」と問われました。僕は顔を真赤にして「ええ」と白状するより仕方がありませんでした。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W 葡萄がおいしかったと答えると、「そんなら又あげましょうね。」と言って、また葡萄をとってくれるんですよ。いいでしょ、ここのところも。
K 指導的な発言も態度も全然ないのがいいですね。
W この女性の先生について、詳しいことはほとんど何も書かれていないんですよ。少なくても厭なことは何も書かれていない。そこが、この小説の作り方の上手なところです。印象派の画家のドガやモネの作品で、人の顔だけわざと描かない手法がありますけど、あれみたいだなあと思いました。
K ちょっとわかります。
W この西洋人の先生は、ジムやクラスの生徒にどんなことを言ったんでしょうね?
K 絵の具をとられた人より、絵の具をとった本人がもっと傷ついているから優しくすべきだ、とか?
W 僕は、魔法を使ったんじゃないかと思ったんだけど。小説の作り方としても、ここは、はっきり書かない方がうまくいく。ただ、もしこの小説が実話だとした場合、42歳の有島武郎にとっても、「あの時の先生のやったことはよくわからなかった」ということなんじゃないかしら。そのわからなさも含めて正直に書いている。「あれはなんだったんだろう」みたいな感じで。
K は?魔法?
W そう。魔法、魔法。魔法の杖もってて、一振り。
K 先生が小学生の頃も、こんな先生いました?
W 僕は、あんまり、学校の先生とうまくいった思い出がないんです。たいてい嫌われた。暗い変な子だって。今だったら、発達障害児と認定されたかもしれない。だから、この小説の「僕」の自己認識や自己描写はとてもよくわかるし、共感できます。
K そうでしょうね。
W 小学校の先生で一人だけ、よく覚えているのは、教育実習で来ていた女子学生の先生でした。1ヶ月くらいしかいなかったし、具体的なことは何も覚えていないんだけど。淡い恋心があったのかもしれません。もう70過ぎてるんだろうなあ。当時は20歳くらいの大学生でした。あたりまえなんだけど、他の先生方が持っている「先生らしさ」みたいなものが全くない。まっさらというか。そこは大変魅力的でした。
K その人もその後先生らしくなったんですかね。
W 教育実習のあと、一度も会ってないから、先生になったかどうかも知らないんですけど。今、「先生らしさを身につけない」って、至難の業でしょうね。「身につけろ」って圧力がすごくて。

僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。
それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは遇えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。
(有島武郎「一房の葡萄」より) 

W この「一房の葡萄」という作品、僕はおもしろく読めました。有島武郎が30年以上前の子ども時代の自分に寄りそって、正直に当時の心を紙上に再現しようとしている。その真摯さにうたれます。
K 学校を描いた作品でこんなに理想的な状況だけが書かれているものって少数派なんじゃないですかね。児童向けの雑誌に載ったものだからなのかもしれませんが。
W 子どもの心を大切にする「大正新教育運動」にも大きな影響を与えたと思います。
それから、突飛な連想かもしれないけど、山田洋次監督に「男はつらいよ」という映画があるでしょ。渥美清が主人公の寅さんを演じていて、全部で48作もありますけど。あれを見終わったあとと同じような気分になれました、この小説。
僕は寅さんが柴又に帰ってきて、ひがんだりすねたりして、家族と喧嘩するところがとても好きなんです。どちらの話も、独特な童心を持った主人公を描いています。それから、お話の中に厭な人が全然出てこない。作っている人が誠実で真剣なので、作品を受け取る側が居住まいを正したくなるところも共通しています。
K えー、ちょっとそのたとえはよくわからないですね。

「いじめ問題」について      

W ところで、今回の作品は、子どもを扱ったものでしたよね。有島武郎が横浜の私立小学校にいたのは、6歳から9歳までした。1884年から1887年というから、もう120年以上前の話になりますが。
K 1年生から4年生くらいですね。
W この話の中の小学生って、今とくらべてどうなんでしょう?
K 今と比べてじゃないですけど、大人になってからの回想で書かれていることもあって、随分大人びた感じがしますね。
W そうですか。最近の日本の小中学生って、どう思います?
K 最近の日本の小中学生には、知り合いが二人しかいませんので、どうと言われましてもね。
W 「直接体験というか、自分の目の前のものしか信じない」というのは良いですね。
僕は、子どもが悪いことしないというか、問題をおこさないというのが、現在の大きな特徴だと思うんだけど。「120年前と現在は基本的に同じなんだ」という子ども観を持っています。悪くなんて全くなってない。「子どもが悪くなった、信用出来ない」って証拠は全然ないんですよ。有島武郎の頃も良かったけど、今でも良いんです、間違いなく。
政治家や役人、マスコミや一部の研究者は、必死になって子どもの問題を見つけようとしてるんだけど、なかなか見つからない。横から見てると滑稽なんですけどね。なにもないんだから、見つかるわけがない。あとは自分たちで作り出すより方法がない。このあたりのことは、1999年に書いた「青少年問題が国の教育政策に与える影響について」という文章を見てください。以前にも触れましたが。


W 1980年以降は「いじめと不登校」が子どもの問題として大きく扱われました。あとは、小学校低学年の学級崩壊とか。90年代には非常に特殊ないくつかの殺人事件なんかがありました。数はとても少なかったんですけど。校内暴力は70年代までですね。2000年代に入ってからは、学力低下問題です。でも、結局、学力低下があったのかどうかははっきりしない。最近だと、インターネットや携帯電話の問題ぐらいかなあ。依存症だとか言われて。
K 学校裏サイトとかありましたね。
W ネットや携帯電話の便利さにくらべたら、小さな問題というか、簡単に解決可能な問題のように思いますけどね。「子どもが悪いことしない」というのが今の社会の特徴です。殺人事件のような凶悪犯罪も非常に少なくなっているし。
「いじめ問題」は、他に大きな問題が見つからない中で、30年以上、最も大きな子どもの問題行動として取り上げられてきたわけです。逆に言うと、「いじめ問題」がこれほど大きく扱われてこなかったら、日本人の小中学生に対する見方は、今と大分違っていたように思うんですけどね。
K どういう風に違っていたと思いますか?
W 「子どもは何をやるかわらないから、大人は、よく指導、監督していないといけない。現代の子どもは、昔の子どもとは違う。100%子どもを信頼しては駄目だ」といった声が今より小さくなっていたでしょうね。「一房の葡萄」の世界に近づいた。 
僕なんか、今の子どもは節度をよくわきまえているというか、「社会や大人が困ることをしない」というのが、一番の特徴だと思いますけどね。
K 「いじめ」が大きく取り上げられるので、実際よりも子どもが悪く考えられてしまっているということですか?
W そう。「子ども性悪説」に大きく道を開いた。イソップに「北風と太陽」という話がありますね。旅人のマントを脱がすのに、北風と太陽のどちらが有力かという話ですけど。「いじめ問題」は、子どもに対して、太陽政策ではなく北風政策をとるべきだという考え方を大きく推し進めました。「子どもたちに任せていたら、何が起こるかわからない」と言って。
K そういう「子ども性悪説」や現在の北風政策については、どう思いますか?
W 僕は、良いことだとは思えないですね。子どもの実像とは、かけ離れた子ども像をもとに、教育政策が推し進められているわけです。「いじめ問題」についての法律も出来たりして。
このあたりのこと、小池さんはどう思っていますか?「今の子どもは、とんでもない。自分たちよりも悪くなった」って考えてる方ですか?
K いや、だから知らないですから。マスコミ報道は基本的に信用してないですし。
W 次の引用は、先日、201386日の日本経済新聞・朝刊の記事です。「いじめ被害  小学生の9割  首都圏、加害経験も9割」という見出しがついた、かなり大きな記事です。正確を期するために記事の全文を引用してあります。
ただ、新聞には、引用した文章のほかに大きな円グラフが2つ載っていて、「小学4年から3年間のいじめ経験」被害「経験あり87%」「経験なし13%」、加害「経験あり86%」「経験なし14%」となっていて、「(注)国立教育政策研究所のいじめ追跡調査」の記載もあります。
 加害と被害の経験率がほぼ同じというのが、ほほえましいというか、現代の子どもの正直さをよくあらわしていると思いますけど。被害率、加害率ともに9割と書かれると、「現在の学校・学級=いじめ集団」と見えてしまいます。かなり絶望的な状況というか。

いじめ被害 小学生の9割   
首都圏、加害経験も9
    仲間外れ・陰口・・・       
 
国立教育政策研究所は5日、首都圏の小中学生を対象に行った調査で、小学生では仲間外れ、無視、陰口といった「いじめ」を受けたことがある児童と加えたことがある児童がともに9割近くに上がったと発表した。調査担当者は「こうした暴力を伴わないいじめを、子供たちが日常的に経験している事が裏付けられた」としている。
 同研究所は20102012年、首都圏のある市の小学校13校と中学校6校で、10年度に小学4年生と中学1年生だった児童生徒計約4600人を対象に追跡調査を実施。毎年6月と11月にアンケートを行い、経年変化を分析した。
 10年度当時に小学4年生だった約700人のうち、小6の11月までに「仲間外れ、無視、陰口」の被害を一度でも受けた経験があると回答した児童は87%に上った。6回の調査でいずれも「ぜんぜんなかった」とした児童は13%にとどまった。
 「仲間外れ、無視、陰口」の加害経験が一回でもあると答えた児童は86%、加害経験がないとした児童は14%だった。
 0709年に実施した前回調査では小学生の被害経験は79%、加害経験は77%だった。
 10年当時に中学1年生だった生徒の調査では、「仲間外れ、無視、陰口」の被害を一度でも受けたことのあるとした生徒は71%、加害経験があるとした生徒は72%だった。
 中学生に就いては「ひどくぶつかる・たたく・蹴る」といった暴力についても調査し、被害を受けたとした生徒は41%、加害経験があるとした生徒は30%だった。
         
深刻ないじめに発展する恐れも
  藤川大佑・千葉大学教育学部教授(教育方法学)の話  小学生でいじめの加害経験がある子も被害経験がある子も9割近くいたという調査結果は意外ではない。「仲間外れ、無視、陰口」といった行為が子供たちの間で日常的に起きていることが浮き彫りになった。
 こうした行為が深刻ないじめに発展する恐れもある。だからこそ、教師は子供たちの気になる行動を見つけたら、周囲の教師と情報を共有し、エスカレートしないよう対応する必要がある。

     「未然防止」へ教員に手引き
       教育政策研が配布
 国立教育政策研究所は、暴力を伴ういじめには「早期対応」、暴力を伴わないいじめには「未然防止」が有効だとし、教員向けのいじめ対策の手引を8月中にも全国の小中学校に配布する。
 調査で加害・被害とも9割近い小学生が経験していた暴力を伴わないいじめについて、同研究所の滝充・総括研究官は「教師が気づかないうちに、深刻な状況に進行している場合がある」と指摘。
 手引では、すべての児童生徒を対象に「未然防止」に力を入れることが有効だとし、学校が安心できる場だと感じられるような「居場所づくり」、子供同士が互いを認め合う「絆づくり」などの対策を挙げた。暴力を伴ういじめは、けがやあざなどから早い段階で把握できる可能性が高く、教師による「早期対応」が被害の深刻化を食い止める最も有効な対策だとしている。
(日本経済新聞 201386日・朝刊より)

W どんな印象を持ちましたか?
K いじめを受けたとか自分がしたとか、子どもが認識しやすくなって、またそう回答しやすくなっているんだろうなっていう印象です。実態がどうかっていうこととは別に。
W 僕は、かなり、問題のある記事だと思います。具体的に言うと、まず「いじめ被害 小学生の9割。首都圏、加害経験も9割」という大きな見出しが目に飛び込んできます。でも、ここで言ってる「いじめ」って、すごく範囲が広くて、陰口や仲間外れまで含んでいる。「今の小学校じゃ、人の悪口も言えないのか」って思ってしまいます。記事全体が、読者をミスリードする書き方になっています。
 その後の、対応策のところも「子ども性悪説」をもとにした「北風政策」が奨励されていると思います。一番根底のところでは、子どもを信用しないという。
 僕は、いじめについての意識をもし、小中学生に聞くんだったら、「学校で経験するいやなことの中でのいじめの位置」を聞くべきだと思うんです。でも、そういう聞き方を最近、まずしない。最初から、いじめのことだけ聞く。
 2000年に内閣府の行った調査では、小中学生、約3000人に「学校で困ることやいやなこと」を聞いています。10個、選択肢を用意していますが、「あてはまるものをすべて選ぶ」回答方式になっていました。
小学生の場合、多い順番に「運動が苦手」(13,2%)、「勉強がよくわからない」(12,5%)、「きらいな先生がいる」(10,0%)、「成績がなかなか上がらない」(8,9%)、「クラスの他の子とのつきあいがつらい」(2,7%)、「学校の規則がきびしすぎる」(2,7%)、「友だちにいじめられる」(2,6%)、「クラブ活動や部活動がつまらない」(2,5%)、「仲の良い友だちがいない」(1,3%)、「その他」(0,7%)、でした。また、「特にいやなことはない」と答えた小学生が56,4%にもなりました。
これが中学生になると、「友だちにいじめられる」は、「0,5%」と、その他の「0,3%」についで少ない数字になります。この調査の結果は、ネットでも見ることが出来ます。        (内閣府「日本の青少年の生活と意識――第2回調査」2001より)
K いじめの被害者・加害者が小学校では9割にもなるのに、「学校で困ること、いやなこと」に「いじめ」をあげる小学生が2,6%、中学生が0,5%にしかいないというのは興味深いですね。
W最近、こうした内容の調査を僕は見たことないんです。調査するんだったら、こうした調査項目も入れて実施してもらいたいものです。もちろん、この質問は、「自由記入方式」というか、「どんなことでも良いから書いてください」という方法でも良いと思うんですけどね。
 2000年の調査結果では、友人関係のことより、対学校というか、勉強、成績、先生といった問題をあげる小中学生が多かったんです。いじめ問題だけに、あまりに近づくと、小中学生の意識構造の全体像がわからなくなります。なにか、大人の側が「いじめの問題ばかり言っている」という印象を僕は持つんですよ。もっと、学校に改善して欲しいことを、実際の小中学生は持っているのに、そうした問題が、いじめ問題の陰に隠れてしまうというか。この話は、小池さんと前に出した本の中でも喋りましたけどね。
K そうでしたね。
W 次に僕が2010年に書いた「子ども集団の現状と『いじめ概念の終焉』」という文章を見てください。一部分ですけど。「私説・教育社会学」という本に載せてあります。

 いじめの増減も、学級崩壊、校内暴力などとともに、信頼性の低い数値である。まず「いじめの定義」の問題がある。さらに、それぞれの学校ごとに認定の仕方が違うし、その時々の社会が持つ「いじめ観」によっても数え方が左右される。いじめが起こるのは子どもが未熟だからではない。人が集団生活を避けて生きていけないからである。「人をいじめたことなどない」という聖人君子を私は信じない。
「いじめ」について、もう少し詳しく言うと、次のような問題がある。二〇〇五年度までの文部科学省のいじめの定義は、「自分より弱い者に対して一方的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」であったが、二〇〇六年度からは「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」に変わった(文部科学省「『児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査』の見直しについて」二〇〇七年)。この定義の変化は非常に大きなもので、二〇〇五年度までに把握された数値と二〇〇六年度以降の数値が大きく異なることに何の不思議もない。
 さらに、二〇〇六年度以降の現在の定義は、あまりに漠然としていて、ほとんど実質的な意味を持たない。集団生活の中で、人が他者から「心理的・物理的な攻撃を受けること」など、子どもに限らず日常茶飯事ではないだろうか。むしろ「良いことや悪いことがあったり」「好きな人や嫌いな人ができたり」「何も起こらなかったり」などとともに、人が集団生活に参加している時の、もっともありふれた状況の一つとも言える。私など、今でも毎日のように経験している。残るのは、そうした攻撃に対する感受性の問題だけである。
 この定義を文部科学省が持ち出したことで、いわゆる「いじめ問題」の数量的把握は、どのような意味においても不可能になった。それは、「いじめ概念」の終焉であり、不意打ちというか、非常に意外な形で「『いじめ』という教育問題が解消された」という皮肉な結果を意味するであろう。
 私は「いじめ」という問題は、もともと漠然としたとらえどころのない問題で、人間生活に強力に付着し、解決の方法などない問題、「はじめから、永久に解決を禁じられている問題」だと思ってきた。「いじめ」という言葉を使うことで、一つ一つの事例の個別性が見えなくなったり、言葉の重さに押さえ込まれて、事例ごとの理解が深まらなくなったりするのではという懸念も持っていた。つまり、子どもの問題を考えるにあたって「もともと、『いじめ』という言葉があった方が良かったのか、なかった方が良かったのか」という根源的な疑問があった。
 「いじめ」という言葉をあえて使わず個々の事例や事件を具体的に見るか、「いじめ概念」を縮小し限定するーーーすなわち、いじめの色合いの濃い部分だけを見ていくしか、適当な分析・対処方法はないのではないかとも思っていた。
 まさか、逆に「いじめ概念」を広げ、薄め、そのことで「いじめ概念を無効化する」方法があるなどと夢にも考えなかった。皮肉を込めて言うのだが、文部科学省にも、智恵者がいるものである。あと、十五年か二〇年もたてば、教育問題としての「いじめ」という言葉は人々から忘れ去られてしまう可能性が高いと思う。
渡部真『私説・教育社会学』世界思想社 2010, 255-257ページ 第12章「子ども集団の現状と『いじめ概念』の終焉」より

W どうですか?
K たしかに、いじめって言葉を使うことで見えなくなっている「起こっていることの個別性」っていうのはありますね。
W 2010年に書いたこの文章、今でも間違ってなかったと思っています。ただ、最後の文部科学省の対応の件については、見通しをあやまりました。いじめの定義が変わったことは問題にせず、「いじめの件数が増えたから、いじめ問題が悪質化した」「何とかしなければ」ということで、いじめについての法律まで作ってしまった。驚きました。
もうひとつ、「いじめ問題の難しさ」という短い文章があります。もともと、明治図書という出版社のメールマガジンに載ったものですが、資料として小池さんとの本にも載せましたよね。はじめに書いたのは、やはり2010年かな。

 「いじめ問題」は難しい。さまざまな難しさが絡み合っている。小学校や中学校の教育現場だけでなく、研究の分野でも多くの難しさを抱えこんでいる。
 ところで「いじめ」の隣接領域に「少年非行」の問題がある。この2つの問題の扱われ方には、何か違いがあったのだろうか。「少年非行」の領域では、伝統的な非行理論の他に、1970年頃からラベリング論(レッテル貼り論)が大きな力を持つようになってきた。私もこの理論にもとづいて非行問題を考えてきた。
 伝統的な少年非行理論では、非行少年と一般少年の間にはっきりした差異があり、その差異の原因を明らかにすることが研究の目的と考えられてきた。しかし、ラベリング論では、両者の間にそれほど本質的な差異はなく、どんな子どもも(もちろん大人も!)逸脱的な傾向を持っている。従って、ある子どもを「非行少年」と簡単に認定してしまうのは、一方的なレッテル貼りの危険性を持ってしまう、と考える。また、一度「非行少年」と警察や教師に認定された子どもは、「非行少年というレッテル」を自らに引き受け、「非行少年らしさ」を身につけてしまう。ラベリング論を用いることで、「非行少年研究」は大きな転機を迎えた。さまざまなユニークな研究も生まれた。
 ところが、それにひきかえ、ラベリング論から「いじめ問題」を考える研究者が、現在でも、ほとんど出てこないのである。研究者の心の中にも「いじめは絶対にあってはいけないこと」「いじめっ子は悪い子ども」という観念が非常に強く付着している。あえて言うと、「『非行少年』は許せても『いじめっ子』は許せない」と考えているかのようにも思われる。
 現在の私は、「いじめ」という言葉を使わずに、個々の問題事例や事件をありのままに見ていった方が良いのではないかと考えている。「いじめ」という言葉の呪縛からのがれて、事件や事実関係自体を虚心にながめた方が、冷静な原因分析や対処法につながると思うからである。「いじめっ子」というレッテルを貼って、「その子を、はじめから悪役としてしまう弊害」からのがれることもできる。他方、もっといじめに積極的に向かい合い、「ラベリング論を使って、いじめ問題を根本から捉えなおす独創的な研究」も生まれて欲しいと願っている。
渡部真「『いじめ問題』の難しさ」 渡部真・小池高史『ユースカルチャーの社会学――対話扁』書肆クラルテ 2011204205ページ 第12章「いくつかの技法について」より

W ラベリング論については1980年に社会学者の大村英昭先生が書いた『非行の社会学』(世界思想社)という本にとてもわかりやすく紹介されています。当時、僕は大学院生でしたが、非常に感銘を受けました。大村英昭・宝月誠、共著の『逸脱の社会学』(新曜社 1979)も、理論的で少し難しいですが、とても良い本です。
K 今回引用した渡部先生の文章、好き勝手なことをいろいろ書いてますけど、結局、今の時点ではどう思ってるんですか、いじめ問題に対して。 
W 今回引用した2つの文章、2010年頃のもので、ともに「『いじめ』とか、『いじめ問題』という言葉を使わない方が良いんじゃないか」と書いていますけど、その意見は全く変わっていないというか、むしろ強まっていますね。後の文章の方で書いた「ラべリング論を利用した、すぐれたいじめ研究」もあらわれてないし。
「いじめ」って言葉を全く使わないというか忘れることで、解決される部分って、結構ありますよ。はじめから、土俵に上がらない。
もちろん、学校内でなにか子ども同士のいざこざが起こった場合に、「教師はなにもしなくて良い」と言ってるわけではありません。でも、そこに「いじめ」という名称を付ける必要は全くない。一つ一つのいざこざを丹念に見ていけばいい。「いじめ」という言葉がもちだされると、冷静で適切な判断が出来なくなる。「マイナスのレッテル貼り」が横行する。初めから、道徳的な空間になって、悪者探しが始まってしまいます。
学校の管理職が、毎年、子どもの仲間外れや陰口まで含めた、いじめの件数を数えて、教育委員会や文部科学省に報告するって、変な光景だと思うけどなあ。自分の学校の子どもが悪いことしないか見張っていて、結果をお上に上申するなんて。教師が子どもと仲良くなれませんよね。
K それは「学校-いじめ」だけの話じゃなくて、冷静な判断を妨げる言葉遣いって社会全体にありふれている気がしますね。
W 今回の「一房の葡萄」だって、子どもの窃盗と言うか、少年非行がまずあって、そのあと、クラスメートが主人公を取り囲むところは、いじめと言えないこともない。でも、この小説の中の女性の先生は、絶対にそんな言葉を使わなかったし、そのためにその後の処置も軽やかにできた。
 今の学校の先生は、この先生のような柔軟な対応を許されないんじゃないかな。「少年非行なんじゃないか、いじめなんじゃないか」と外や上から攻め立てられる。魔法は使えない。それは、決して良い事ではないと思いますけど。
K その通りですね。
W それにしても暑いなあ。
20138月・東京・大泉学園にて)

<参考・引用文献>
有島武郎  一房の葡萄  1920
――――― 小さき者へ  1918
――――― 燕と王子  1926
――――― 宣言一つ  1922
――――― 或る女  1919
芥川龍之介 杜子春  1920                     
――――― 蜘蛛の糸  1918
夏目漱石  三四郎  1908
――――― 野分  1907
森鴎外   青年  19101911
(以上  青空文庫より)

有島武郎 一房の葡萄  岩波文庫(解説・中野孝次) 1988
新潮日本文学アルバム9  有島武郎(評伝 遠藤祐)新潮社・1984
オスカー・ワイルド  幸福な王子――ワイルド童話全集(西村孝次訳)新潮文庫 1068
吉本隆明  家族の行方  光文社  2006
大村英昭・宝月誠  逸脱の社会学  新曜社  1979
大村英昭  非行の社会学  世界思想社  1980
渡部真   青少年問題が国の教育政策に与える影響について 犯罪社会学研究24 日本犯罪社会学会 1999  
―――  私説・教育社会学  世界思想社 2010
渡部真・小池高史  ユースカルチャーの社会学――対話編  書肆クラルテ 2011

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