2014年12月15日月曜日

第51章 戯作三昧

--戯作三昧」は芥川龍之介が1917年(大正6年)に発表した短編小説。江戸時代後期の小説家、滝沢馬琴の生活と心情を描写しながら、同じ作家としての自らの悩みと夢を綴っている。(まとめ 渡部)--

W 今回は、芥川龍之介の「戯作三昧」です。彼の作品は、青空文庫に現在、369点入っています。この小池さんとのブログでは、これまでに「猿蟹合戦」「大導寺信輔の半生」「保吉の手帳から」をとりあげましたから、今回が4作目です。読んでみて、どんな感想を持ちましたか?
K 短い話ですが、3つくらいのテーマが盛り込まれていますね。実在の人物を主人公にしている小説なのに、エッセイを読んでいるような感じをうけました。
W なるほど。それは面白い感想ですね。僕が意外だったのは、彼がまだ25歳で、横須賀の海軍機関学校の英語の先生をしてた頃の作品だということなんです。「羅生門」が前々年、「」が前年の発表ですから、本当にごく初期の小説ということになります。僕は以前に一度読んだことがあったんですけど、30代になってからの作品かと思っていました。
K 主人公、老人ですしね。
W 新潮文庫だと46ページあります。ちょっと長めの短編小説。「大阪毎日新聞」に15日間掲載されました。

 天保二年九月のある午後である。神田同朋町の銭湯松の湯では、朝から相変らず客が多かった。
(芥川龍之介「戯作三昧」より)

 つつましく隅へ寄って、その混雑の中に、静かに垢を落としている、六十あまりの老人が一人あった。年のころは六十を越していよう。鬢の毛が見苦しく黄ばんだ上に、眼も少し悪いらしい。が、痩せてはいるものの骨組みのしっかりした、むしろいかついという体格で、皮のたるんだ手や足にも、どこかまだ老年に抵抗する底力が残っている。
 (同上)

W 上のふたつの引用は、この小説の最初の部分です。この神田の銭湯に来ていたのが60歳をこえた滝沢馬琴です。「南総里見八犬伝」とか「椿説弓張月」を書いた江戸時代の作家ですね。馬琴のこと、なにか知ってました?
K そりゃあもう「南総里見八犬伝」ですね。
W もうだいぶん前になるけど、「八犬伝」を歌舞伎にしたものを、小池さんと見に行ったことがあるんですよ。歌舞伎座か、新橋演舞場だったと思いますが。見終わったときに、あなたがとても核心をついた感想をポツリと言ったんで、よく覚えているんです。「外面的な面白さを売り物にしている歌舞伎だ」といったようなことですが。「大衆的」という言葉も使ったかな。それはたしかに、おっしゃる通りというか、どんぴしゃりでね。波乱万丈、痛快娯楽劇って感じです。
K 何一つ覚えていないです。ほんとですか?
W ほんとです。実は、来年の一月というか来月、国立劇場で歌舞伎の「八犬伝」を上演します。正月の国立劇場の歌舞伎公演は、毎年必ず、NHKBSで中継録画しますから、来年も放送すると思います。よかったら見て、思い出してください。お城の屋根の立ち回りとか、わくわくしますよ。
K 見てみます。そのことを覚えていれば。
W この芝居、数年に一度は、全国どこかで上演されている人気演目ですが、今回の国立劇場は、『刊行開始200年』を記念した上演だそうです。馬琴は、1814年に書き始めて、28年かけてこの作品を完結させたそうです。ちょっと気が遠くなるというか。
K 今でいうと、「ゴルゴ13」とか「こち亀」みたいなものですね。
W 芥川龍之介がこの「戯作三昧」を書いたのが1917年。つまり、馬琴と芥川と僕たちは、ほぼ100年ずつ離れているというわけなんですね。馬琴から200年、芥川から100年。

 芥川はのちになって、弟子の渡辺庫輔宛書簡に「僕の馬琴は唯僕の心もちを描かむ為に馬琴を仮りたものと思はれたし西洋の小説にもこの類のもの少なからず」(一九二二・一・一九)と書きつけている。  
 (関口安義『芥川龍之介』岩波新書 113ページより)                           

W この手紙からすると、芥川の中では明らかに、「馬琴=自分」なんですね。

 老人の心には、この時「死」の影がさしたのである。が、その「死」は、かつて彼を脅かしたそれのように、いまわしい何物をも蔵していない。いわばこの桶の中の空のように、静かながら慕わしい、安らかな寂滅の意識であった。一切の塵労を脱して、その「死」の中に眠ることが出来たならばーー無心の子供のように夢もなく眠ることが出来たならば、どんなに悦ばしいことであろう。自分は生活に疲れているばかりではない。何十年来、絶え間ない創作の苦しみにも、疲れている。・・・・・
(芥川龍之介「戯作三昧」より)

W 上記のところなんか、60歳をすぎた身としてはとてもよくわかります。「死」は決して厭うべきものではない。だけど25歳の青年が、こんなこと分かっちゃうというのは驚きです。
K 生活の苦しみと創作の苦しみということを言っていますね。
W 25歳の青年と思わず、10年後に自殺する作家と考えれば、それほど違和感はないのかな。
K うーん、どうでしょう。

 彼の空想は、ここまで来て、急に破られた。同じ柘榴口の中で、誰か彼の読本(よみほん)の批評をしているのが、ふと彼の耳へはいったからである。しかも、それは声といい、話しようといい、ことさら彼に聞かせようとして、しゃべり立てているらしい。馬琴はいったん風呂をでようとしたが、やめて、じっとその批評を聞き澄ました。
(同上)
   
W 馬琴は銭湯の中で2人の読者に出会います。自分の作品を褒めてくれる人と、さかんにけなす人です。どちらの場合も、馬琴は心穏やかではいられないんですが、特に後者の言葉に傷つきます。小池さんは、自分の書いたものが、褒められたり、けなされたりするとどうですか?
K そりゃあ褒められたらうれしくて、けなされたらショックですよ。
W Wさんの書いたものが、けなされているのを見た時はどうですか?
K どちらかというとうれしいですね。
W 僕も自分が、けなされるの、好きではありません。褒めてもらえると「もっと褒めて」と思ってしまいます。なんて、正直な人間なんでしょう。
K みんなそうでしょう。

 馬琴の経験によると、自分の読本の悪評を聞くということは、単に不快であるばかりでなく、危険もまた少なくない。というのは、その悪意を是認するために、勇気が沮喪(そそう)するという意味ではなく、それを否認するために、その後の創作的動機に、反動的なものが加わるという意味である。
 (同上)

W 悪評を聞くと、けなされた部分の方向により力を入れていくということですね。むきになるというか。わかる気がします。
K 危険ですね。
W ただ、もっと単純に、悪評によって勇気が沮喪するということもあると思うなあ。芥川が、この作品を25歳の時に書いたということから、僕は大学院生を連想したんですけど。僕の所属している学会では最近、学会誌の投稿論文の倍率が6倍にもなるそうです。5人落ちて1人通る。僕が院生の頃は、倍率がすごく低かった。出せば載せてくれるという感じで。僕は昔から性格が弱かったというか根性なかったから、落されたら半年か一年、研究を放棄しちゃったんじゃないかな。ふてくされて、布団かぶって寝てしまって。
K 今でもそういうタイプの人はいますね。
W 好きだなあ、そういう人。

「どうして己は、己の軽蔑している悪評に、こう煩わされるのだろう。」
 馬琴はまた、考え続けた。
「己を不快にするのは、第一にあの眇が己に悪意を持っているという事実だ。人に悪意を持たれるということは、その理由のいかんにかかわらず、それだけで己には不快なのだから、しかたがない。」
 彼は、こう思って、自分の気の弱いのを恥じた。実際彼のごとく傍若無人な態度に出る人間が少なかったように、彼のごとく他人の悪意に対して、敏感な人間もまた少なかったのである。そうして、この行為の上では、全く反対に思われる二つの結果が、実は同じ原因――同じ神経作用から来ているという事実にも、もちろん彼はとうから気がついていた。
 (同上)

W 上の引用の「傍若無人な態度」と「他人の悪意に敏感」が、「気の弱さ」から来るというところも、よくわかります。僕も、自分じゃそう思わないんだけど、傍若無人だとか、好き勝手なことやってると、言われることがあります。本当は、とても気が弱いだけなんだけど。あと、「言葉が足りない」「説明不足」ということもあるのかな。
K そうですね。
W 次の文章は、太宰治が死ぬ直前に書いた「如是我聞」という随筆です。先輩の作家や評論家、外国文学者なんかに、あたり散らしています。

 しかし、世の学者たちは、この頃、妙に私の作品に就いて、とやかく言うようになった。あいつらは、どうせ馬鹿なんで、いつの世にでも、あんなやつらがいるのだから、気にするなよ、とひとから言われたこともあるが、しかし、私はその不潔な馬鹿ども(悪人と言ってもよい)の言うことを笑って聞き容れるほどの大腹人でもないし、また、批評をみじんも気にしないという脱俗人(そんな脱俗人は、古今東西、ひとりもいなかった事を保証する)ではなし、また、自分の作品がどんな悪評にも絶対にスポイルされないほど剛(つよ)いものだという自信を持つことも出来ないので、かねて胸くそ悪く思っているひとの言動に対し、いまこそ、自衛の抗議をこころみているわけなのだ。
  (太宰治「如是我聞」より)

W 太宰の文章で、「批評をみじんも気にしない脱俗人は、古今東西ひとりもいなかったことを保証する」というところは、おもしろいなあ。心強い御発言です。
K ははは。
W 次の森鴎外の文章も興味深いです。批評を気にしているような、気にしていないような。

 しかし何と云われたって、云われついでだから云いましょう。私は田山君のように旨くないと云われても、実際どうでもない。田山君も、正宗君も、島崎君も私より旨くて一向差支がないように感じています。それは私の方が旨くても困りはしません。しかしまずくても構いません。ちっとも不平がない。諸君と私とを一しょに集めて、小学校のクラスの座順のように並ばせて、私に下座に座ってお辞儀をしろと云うことなら、私は平気でお辞儀をするでしょう。そしてそれは批評家の嫌う石田少介流とかの、何でもじいっと堪えているなんぞと云うのではありません。本当に平気なのです。
 私の考では私は私で、自分の気に入った事を自分の勝手にしているのです。それで気が済んでいるのです。人の上座に据えられたって困りもしないが、下座に据えられたって困りもしません。
     (森鴎外「Resignationの説1907 より)

W 上の文章に出てくるのは田山花袋、正宗白鳥、島崎藤村ですが、明治の末期には鴎外より、専門家間の評価は高かったんですね。とても意外な感じがしました。結局、鴎外は前回の夏目漱石と同じで、「私は私」で「自分の気に入った事を自分の勝手にしていよう」という結論に至ります。
K まあ、たいていそういう結論になりますよね。誰が考えても。

「しかし、眇がどんな悪評を立てようとも、それは精々、己を不快にさせるくらいだ。いくら鳶が鳴いたからといって、天日の歩みが止まるものではない。己の八犬伝は必ず完成するだろう。そうしてその時は、日本が古今に比倫のない大伝奇を持つ時だ。」
 彼は恢復した自信をいたわりながら、細い小路を静かに家の方へ曲って行った。
        (芥川竜之介「戯作三昧」より) 

W 芥川の描く馬琴は、自信と不安の間を揺れ動きます。
K そうですね。このあたりの描写は老人にしては若々しく描かれているという印象です。
W 馬琴より芥川本人が露呈している、ということですかね。

 新進作家としての芥川龍之介の評価は、さまざまであった。前章で見たように、彼の評価は決して賛辞ばかりではない。中村孤月の批評に至っては「何の為に斯(こ)ういふ創作を為(す)るか」として、「海軍機関学校教官の余技は文壇に要はない」とまさに斬捨御免の酷評であった。ほかにも自然主義系の人々や匿名批評が、芥川作品に意地の悪い批評を投げつけた。人一倍神経のこまやかな彼は、それら酷評や悪評に傷つかないわけはなく、気にすることが多かった。芥川が馬琴を借りて語りたかったものは、そうした世間の風評にわずらわされることなく、自己の能力を信じて仕事に邁進する決心であった。ひとりの人間の自己確立の勇壮なドラマが、ここに描かれたのである。
(関口安義「芥川龍之介」岩波新書 1995114ページより)
  
W 芥川は「戯作三昧」の前年に書いた「鼻」が漱石に激賞されて、一躍注目を浴びたんですが、上の関口さんの文章なんか読むと、ずいぶん厳しい視線にも取り囲まれていたんですね。
K 「海軍機関学校教官の余技」とまで。

彼は、この自然と対照させて、今さらのように世間の下等さを思い出した。下等な世間に住む人間の不幸は、その下等さに煩わされて、自分も、また下等な言動を余儀なくさせられることころにある。現に今自分は、和泉屋市兵衛を逐い払った。逐い払うということは、もちろん高等なことでもなんでもない。が、自分は相手の下等さによって、自分もまたその下等なことを、しなくてはならないところまで押しつめられたのである。そうして、した。したという意味は市兵衛と同じ程度まで、自分を卑しくしたというのにほかならない。つまり自分は、それだけ堕落させられたわけである。
 (芥川龍之介「戯作三昧」より)

W まあ、あまり人の意見には耳を貸さないほうがいいのかな。自分のことは自分が一番よくわかっているわけだし。人との付き合いが多くなると、どうしても自分が卑しくなる。卑しい方向に追い込まれるというか、一人でいれば絶対にやらないようなことをやってしまったりする。ポツンと一人でいるのが一番いい。雑音も全然聞こえてこないし。
K 人に意見もしたくなっちゃいますしね。
W ただ、僕は若い頃「絶対に相手に聞こえない悪口なら、いくら言ってもいい」という話を聞いたことがあって、妙に印象に残っています。本当に聞こえてないのかなあ。
K 僕はそう思って言いまくってますけど。
W あぶない、あぶない。

馬琴は改名主の図書検閲が、陋(ろう)を極めている例として、自作の小説の一節が役人が賄賂をとる箇条のあったために、改作を命ぜられた事実を挙げた。そうして、それにこんな批評をつけ加えた。
「改名主などというものは、咎め立てをすればするほど、尻尾の出るのがおもしろいじゃありませんか。自分たちが賄賂をとるものだから、賄賂のことを書かれると、嫌がって改作させる。また自分たちが猥雑な心もちにとらわれやすいものだから、男女の情けさえ書いてあれば、どんな書物でも、すぐ誨淫の書にしてしまう。それで自分たちの道徳心がが、作者より高い気でいるから。傍痛い次第です。言わばあれは、猿が鏡を見て、歯をむき出しているようなものでしょう。自分で自分の下等なのに腹を立てているのですからな。」
 (同上)

「しかしこの後五十年か百年たったら、改名主の方はいなくなって、八犬伝だけが残ることになりましょう。」
「八犬伝が残るにしろ、残らないにしろ、改名主の方は、存外いつまでもいそうな気がしますな。」
「そうですかな。私にはそうも思われませんが。」
「いや、改名主はいなくなっても、改名主のような人間は、いつの世にも絶えたことはありません。焚書坑儒が昔だけあったと思うと、大きに違います。」
「ご老人は、このごろ心細いことばかり言われますな。」
「私が心細いのではない。改名主どものはびこる世の中が、心細いのです。」
(同上)

W 上の部分は、家に遊びに来た画家の渡辺崋山との会話の部分です。実際にも馬琴と崋山は交友があったそうですが。
K そうですか。崋山のほうが少し若そうですね。
W 馬琴の息子も画家で、彼も崋山と交友があったそうです。改名主というのは、図書の検閲をする役人ですね。馬琴が200年前、芥川が100年前に、表現者としてこの問題に悩んでいたわけですが、現在でも規制は全く緩んでいませんよね。
「八犬伝」は残ったけど、「改名主」も残った。「改名主のような人間」なんて、むしろ増えてるんじゃないかしら。そして、自分たちを道徳的な人間、立派な人間だと思っている。
K ええ。
W タブーが少ないほど、開かれた社会だと思うけど、タブーは決して減ってませんね。特に性にまつわることのタブーがすごくふえた。
K 先生におかれては、さぞかし生きにくいことと思います。

「自分はさっきまで、本朝に比倫を絶した大作を書くつもりでいた。が、それもやはり事によると、人なみに己惚れの一つだったかも知れない。」
 こういう不安は、彼の上に、何よりも堪えがたい、落莫たる孤独の情をもたらした。
 (同上)

「観音様がそう言ったか。勉強しろ。癇癪を起すな。そうしてもっとよく辛抱しろ。」
 六十何歳かの老芸術家は、涙の中に笑いながら、子供のようにうなずいた。
 (同上)

「あせるな。そうして出来るだけ、深く考えろ。」
 馬琴はややもすれば走りそうな筆をいましめながら、何度もこう自分にささやいた。
 (同上)

「困り者だよ。ろくなお金にもならないのにさ。」 
 お百はこう言って、伜と嫁とを見た。宗伯は聞こえないふりをして、答えない。お路も黙って針を運びつづけた。蟋蟀(こおろぎ)はここでも、書斎でも、変わりなく秋を鳴きつくしている。
(同上)

W 崋山が帰った後も、馬琴は自作に思いをはせます。自信と自信喪失の間を何度も揺れ動くわけですけど、結局、精進していこうと心に決めます。ただ、他の部屋で奥さんは「困りものだよ。ろくなお金にもならないのにさ。」とつぶやきます。このあたりでは、寝たきり老人になってしまった画家の堀越玄鶴をとりまく家族のありさまを描いた「玄鶴山房」という小説も思い出してしまいました。
K そちらも面白そうですね。
W この「戯作三昧」という作品に出てくるのは、一人の小説家をとりまく様々な人々です。読者、出版者、同業の小説家、友人の画家、図書取締りの役人、妻や息子、孫等、多彩です。そうした人間関係の中で、表現者のもつ苦悩と孤独、それに歓びが見事に表現されていると思いました。芥川の時代から100年経っても、状況はあまり変化してないんじゃないでしょうか。
K それはそうだと思いますね。
W ところで、今年も、もう少しで終わりですが、小池さんにとってはどんな年でしたか?
K 割といい年でした。心安らかに暮らせました。
W 本とか映画とかで、これは面白いという作品、なにかありましたか?
K 本でも映画でもないですが、一番面白かったのは、兵庫県議員の野々村さんの会見ですね。
W あはは。あれはすごかったよね。眼がさめました。 
僕にとって、今年は電子書籍の年でした。アマゾンで出しているキンドルの一番大きな機種を使っているんですが、いろんな本を読むことが出来ました。今年の大きな動きは、これまで読めなかった本を次々に読めるようになったことです。
例えば、ニーチェの「ツァラツゥストラはこう言った」の全訳を、一年前にはキンドルで読めませんでした。ところが今では、手塚富雄、丘沢静也、高橋健二・秋山英夫共同訳の3種類で読めます。氷上英廣訳は、キンドルでは読めませんが、電子書籍にはなっているので、大きなコンピュータで読めます。僕は4つとも持ってます。
K そんなにいくつも持っていて、どうするんですか?
W やはり翻訳によって、文章のリズムとかが、ずいぶん違うんですよね。僕は、その日の気分によって、どれを読むか決めています。
K へえ。
W 今年になって、モンテーニュの「エセー」、ルソーの「エミール」、シェークスピアのほとんど全部の作品なんかも読めるようになりました。プルーストの「失われた時を求めて」という長編小説も、最初の「スワン家の方へ」だけ電子化されました。23年先には全部読めることになりそうです。マックス・ウェーバーの「職業としての学問」や「宗教社会学」、フーコーの「知の考古学」なんてのもあります。「青空文庫」に入っている作品もキンドルで読めるものが多いですね。
K そもそもキンドルは、どんな点が良いんですか?
W まず僕にとっては、活字の大きさを自由に変更できることですね。10年ほど前から目が悪くなって、細かい字を読むのが、つらくなってきていたんです。ある調査によると、同じ悩みから本を読まなくなる人が多いそうですから、高齢者にとって、とても心強い道具です。
 2つ目は、退屈な時間がなくなった、ということです。どんな所にも持ち運べるから、いつも携帯しています。僕の場合、活字さえ目に入れば、退屈するということがありません。急に「あの本を読みたい」と思った時、検索機能を使えば、どんな本でも直ぐに取り出せます。おかげで、退屈せずに死んでいけそうです。 
3つ目は、小池さんには何度もお話した「2段落1チェック方式」がとても簡単にできることです。キンドルには、ハイライトという機能があって、小さな色紙を画面上に付着させて保存できます。僕の場合、となりあった二つの段落のどちらか一つ、気にいった方に色紙をつけるんですけど、とっても楽しいですよ、幼稚園の時に帰ったみたいで。あとから、読み終わった箇所を確認できますし。実は、このハイライトという機能に気がついたのも、今年に入ってからだったんです。
K 退屈を捌けるすべというのは大事なことです。
W 「退屈を捌けるすべ」というのは、しゃれた言い方ですね。ドイツの哲学者、ショーペンハウアーは、人間の幸福に対する2大敵手は、苦痛と退屈だと言っています。僕は、「人から離れるほど苦痛を逃れ、活字に近づくほど退屈を逃れる」と思ってるんですけどね。「人より活字が大切」というか。そういう意味じゃあ、高齢者の生活も悪くない。
K はい。今年に出た本ではありませんが、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」という本を今年読みました。これはとても面白かったです。
W そうですか。その本は是非、読んでみます。
それから、さっきのキンドルの話ですが、小説家や思想家の個人全集、それも手紙や日記や雑文も全て入った完全版とか、謡曲や歌舞伎の脚本の全集なんかも是非、電子書籍化してほしいものです。

  (201412月 東京・大泉学園にて)

<引用・参考文献>
芥川龍之介  戯作三昧  1917 
―――――  玄鶴山房  1927
―――――  保吉の手帳から  1923
森鴎外    鴎外漁史とは誰ぞ  1900
―――    Resignationの説  1909
太宰治    如是我聞  1948  
                     (以上 青空文庫より)

芥川龍之介  戯作三昧・一塊の土  新潮文庫 1968  
―――――  芥川龍之介書簡集(石割透編)岩波文庫  2009
新潮日本文学アルバム13  芥川龍之介  新潮社  1983  
関口安義   芥川龍之介  岩波新書  1995
吉本隆明   悲劇の解読(「芥川龍之介」を収録)筑摩書房  1979  
ウィキペディア  曲亭馬琴
――――――   渡辺崋山 

(凡例)
1、本ブログ(「ユースカルチャーの社会学Blog」)で引用した文献のうち、旧字、旧かなを、新字、新かなに直したところがあります。
2、読みにくい文字に読みがなを付け加えた箇所、また読みがなを省いた箇所があります。
3、読みにくい漢字を、現在一般的に用いられている漢字や、ひらがなに改めた箇所があります。

4、段落の最初から引用した箇所は一字下げていますが、段落途中からの引用は下げていません。            

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