2015年3月20日金曜日

第54章 彼岸過迄

--彼岸過迄」は、夏目漱石が1912(明治45)に朝日新聞に発表した長編小説。大学を卒業したばかりの冒険好きな青年、敬太郎が見聞したことを、さまざまな角度から描いた作品。(まとめ・渡部)--

W 今回は、夏目漱石の小説、「彼岸過迄」です。前回の「それから」と、漱石が二回続きます。ちょうど、お彼岸だし、ぴったりでしょ。
K そうですね。内容としては春の話ではないですけどね。
W 小池さんは、この小説、読んだことありましたか?
K ありません。
W 僕は十年前に初めて読みました。前回、話に出た「現代のエスプリ」という雑誌の「モラトリアム青年肯定論」という特集号に、社会評論家の芹沢俊介さんが「文学の中のモラトリアム青年」という論文を書かれたんですが、そこでこの「彼岸過迄」を扱っていました。興味深い文章で、その時、漱石の小説も読んでみようと思いました。
K そうですか。
W 今回、読んでみてどんな感想を持ちましたか?
K 「それから」に続いて、優柔不断小説第2弾という感じですが、敬太郎の存在は興味深いですね。
W この「彼岸過迄」という作品、新潮文庫ですと本文だけで362ページもあるんですよね。前回の「それから」よりも長い。この作品に限りませんが、「青空文庫」で読むと、僕は短く感じます。紙の本を見て「え、こんなに厚い本だったんだ」って、驚いたんですけど。どうしてなのかなあ。
K さあ。
W この小説、「彼岸過迄について」「風呂の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」「須永の話」「松本の話」「結末」の8つの部分から出来ています。「彼岸過迄について」は前書き、「結末」は後書きのようなもので、ごく短いですから、実質的には6章構成ですね。敬太郎という大学を卒業したばかりの青年が、すべての章に登場します。

「彼岸過迄」というのは、元旦から始めて彼岸過迄書く予定だから単にそう名づけたまでにすぎない実は空しい標題である。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日まで過ぎたのであるから、もし自分の手際が許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。
                    (夏目漱石「彼岸過迄」より)

W 漱石が、小説のタイトルには、あんまり頭を使ってない、ということを告白していて面白いですね。すごく凝る作家も多いと思うけど。
K たしかに短編集という印象ももちますね。
W ただ、それとは別に「本の中身とタイトルとの関係の問題」というのもあると思います。哲学者の鶴見俊輔は「文章心得帳」という本の中で、本の題名は中身を隠すタイトルか、はっきり表すタイトルが良くて、そのどちらでもないタイトルは中途半端な印象を与えてしまう、と書いています。「彼岸過迄」は隠すタイトルですよね。元旦から彼岸過迄まで新聞に連載するということだけなんですから。結局、少し伸びて4月の後半まで連載したようですが。
 下の表は、漱石の中・長編小説15編のタイトルを書かれた順番に並べてみたものです。こうしてみると、中身を隠すタイトルが多いんですよね。「草枕」「野分」「二百十日」「虞美人草」「それから」「行人」「こころ」「道草」「明暗」とタイトルだけ見て、中身を言い当てることのできる人がいたら天才ですね。
K いませんね、そういう人は。
W 中身を表すタイトルは、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「抗夫」「三四郎」ぐらいかな。たしかに、鶴見さんの言う「中途半端なタイトル」はありません。
6の「虞美人草」以下は、すべて朝日新聞に連載した新聞小説です。12年間で15の作品ということで期間も短いし、作品数もあまり多くない。作品数と後世に残るかどうかは関係ないんですね。
K まあ、結構多いと思いますけどね。

夏目漱石の中・長編小説 一覧

1,吾輩は猫である  1905(明治38)
2,坊ちゃん     1906(明治39)
3,草枕       1906(明治39)
4,二百十日     1906(明治39)
5,野分       1907年(明治40年)
6,虞美人草     1907(明治40)
7,抗夫       1908(明治41)
8,三四郎      1908(明治41)
9,それから     1909(明治42)
10,門        1910(明治43)
11,彼岸過迄     1912(明治45)
12,行人       1912(大正元年)  
13,こころ      1914(大正3)
14,道草       1915(大正4)
15,明暗       1916(大正5) 
(新潮日本文学アルバム2「夏目漱石」より作成、作品が最初に発表された年号を記載)

W この「彼岸過迄」、敬太郎という大学を卒業したばかりの青年が主要人物です。ただ、主人公といえるかどうかは意見が分かれるところではないでしょうか。小池さんはどう思いました?
K 主人公の章もあるし、そうでない章もある。
W なるほど。僕はこの小説全体では、敬太郎の友人の須永市蔵と、須永の叔父の松本が主人公だと思いました。終わりの方に「須永の話」「松本の話」という章があって、二人がそれぞれ、敬太郎を相手に話をした内容が記述されています。新潮文庫ですと、それぞれ108ページ、38ページもあります。
K でも前半はそうでもないですよ。
W そう。あんまり出てこないんですよね。小説の前半では、大学を卒業して就職活動に悪戦苦闘する敬太郎の姿が描かれます。冒険好きで浪漫趣味のある青年と紹介されています。

 そのうえ敬太郎は遺伝的に平凡を忌む浪漫趣味の青年であった。かって東京の朝日新聞に児玉音松とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年未満の中学生のような熱心さをもって毎日それを迎え読んでいた。そのうちでも音松君が洞穴の中から躍り出す大蛸と戦った記事をたいへん面白がって、同じ科の学生に、君、蛸の大頭を目懸けて短銃をポンポン打つんだが、つるつる滑って少しも手応えがないというじゃないか。そのうち大将のあとからぞろぞろ出てきた小蛸がぐるりと環を作って彼を取り巻いたからなにをするのかと思うと、どっちが勝つか熱心に見物しているんだそうだからねと大いに乗り気で話したことがある。とその友達が調戯(からか)い半分に、君のような剽軽ものはとうてい文官試験などを受けて地道に世の中を渡ってゆく気になるまい、卒業したら、いっそのこと思い切って南洋へでも出掛けて、好きな蛸狩りでもしたらどうだと言ったので、それ以来「田川の蛸狩」という言葉が友達間にだいぶ流行りだした。このあいだ卒業して以来足を擂木(すりこぎ)のようにして世の中への出口を探して歩いている敬太郎に会うたびに、彼らはどうだね蛸狩りは成功したかいと聞くのが常になっていたくらいである。
                         (同上)

W どう思いました?こういう人。
K どうといわれても、特にないです。
W 漱石の小説に登場する青年としては珍しいんじゃないかな。もっと、内向的・内省的というか消極的な人生観をもっていて、あまり活動的ではないような人が多いと思うんだけど。その意味じゃ、この小説の前半は、漱石の小説を読んでるという気がしませんでした。
K 他の作品だと、ちょっと脇役で出てくるくらいですかね。
W 「野分」でもそうでしたが、明治の末期、大学卒業生の就職が大変だった様子が描かれています。今の大学院生のようなものかな。敬太郎は活動的で、就職活動をあまり苦にしていないみたいですが。知り合いのツテを頼って、東京中をいろいろと歩きまわります。

 敬太郎に須永という友達があった。これは軍人の子でありながら軍人が大嫌いで、法律を修めながら役人にも会社員にもなる気のない、いたって退嬰主義の男であった。少なくとも敬太郎にはそうみえた。
                      (同上)

敬太郎はこの点において実際須永が横着すぎると平生から思っていた。「余計なことですが、少し目上の人から意見でも仕て上げるようにしたらどうでしょう。今お話の矢来の叔父さんからでも」とまったく年寄りに同情する気で言った。
「ところがこれがまた大の交際嫌いの変人でございまして、忠告どころか、なんだ銀行へはいって算盤なんかパチパチいわすなんて馬鹿があるもんかと、こうでございますから頭から相談にもなんにもなりません。それをまた市蔵が嬉しがりますので。矢来の叔父のほうが好きだとか気が合うと申しちゃよく出掛けます。今日なども日曜じゃあるしお天気は好しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つまえにちょっとあちらへ顔でも出せば可いのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きなほうへ参りました。
                       (同上)

W 「停留所」という章から、須永市蔵という敬太郎の友だちが登場します。これこそ、漱石の小説によく登場する内省的で、あまり活動的ではない青年です。ぼくは、須永が出てきて、ほっとしたんですけどね。「これで、やっと漱石の小説らしくなるな」ということで。須永の家には、父親の遺産があって、すぐに働く必要はありません。でも「それから」の代助のような大金持ちの家でもないんです。小池さんが、前回言っていた「微妙な金持ち」というところでしょうか。
K 彼は内省的ですね。
W あと、上の引用部分では、須永の母親がしゃべっているんですが、須永には2人の叔父さんがいて、これが対照的なんですよね。この2人の書き分けが見事だと思いました。矢来に住んでる松本と、内幸町に住んでいる田口で、前者は無職の自称高等遊民。後者は成功している実業家。内向的な松本と須永、活動的な田口と敬太郎という色分けになります。松本の人格には、漱石の影がうつっているように思いましたけど。  

やがて待ち焦れた状袋が彼の手に落ちた。彼はすっと音をさせて、封を裂いた。息も継がずに巻紙の端から端までを一気に読み通して、思わずあっという微かな声を揚げた。与えられた彼の用事は待ち設けた空想よりもなお浪漫的であったからである。手紙の文句はもとより簡単で用事以外の言葉はいっさい書いてなかった。今日四時と五時のあいだに、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる四十格好の男がある。それは黒の中折れに霜降りの外套を着て、顔の面長い背の高い、痩せぎすの紳士で、眉と眉のあいだに大きな黒子(ほくろ)があるからその特徴を目標に、彼が電車を降りてから二時間以内の行動を探偵して報告しろというだけであった。
                    (同上)

W 就職先をみつけたい敬太郎は、友人の須永に頼んで、実業家の叔父の田口を紹介してもらいます。田口は、上の引用のような指令というか課題を敬太郎に出すんですね。田口という叔父さんも、悪戯好きで、なかなか魅力的に描かれています。就職試験の課題としては、とても高度なものなんじゃないかな。
K そうですね。
W 敬太郎は黒子のある男と、同伴の女性を電車の停留所、レストラン、帰りの電車とつけていくことになります。
K はい。
W いろいろな人が、この小説について書いていますけど、「探偵」をキーワードにしている方が多いんですよね。たとえば「敬太郎は探偵にあこがれている」(柄谷行人)「これは漱石が書いた唯一の推理小説、探偵小説だと解釈できるとおもいます」(吉本隆明)「『個々の短篇』を連鎖させるモチーフは、『探偵』である」(江藤淳)という具合なんですけど。
「彼岸過迄」、別に犯罪は何も起きませんよね。小池さんは僕より推理小説とか詳しいから、このあたり、聞いてみたかったんですけど。探偵小説・推理小説としてみたら、この小説には、どんな評価を与えられるんですかね。
K 探偵小説という批評は、あんまりピンと来なかったですね。
W そうですか。僕は登場人物も生起する事件も、最初は謎めいていて、だんだん輪郭がはっきりしてくるところが、推理小説的かなと思ったんですけど。須永も叔父の松本も、最初の方では、ただの登場人物で、実際のところ、どんな人だかよくわからない。松本が言う「雨の降る日に紹介状を持ってくる男には会いたくない」なんてところも謎めいていますよね。真相はうしろのほうまで読んでいくと、はじめてわかるようになっている。最初は人間を外側から描き、だんだん内側に入り込んでくる。そういうところが、推理小説的なのかなと。
K そういう側面ではあまり面白くなかったですね。まあ、作者が試みにやってみたという感じなのかもしれませんが、
W あと、この小説は東京の地名がたくさん出てくるんですよね。とくに作品の前半では。矢来、本郷、内幸町、小川町、須田町、三田、巣鴨とかいろいろです。今の千代田区、文京区、新宿区あたり、あまり広い範囲ではない東京の中心部ですが。東京の街並みを描いた小説とも言えるんじゃないかな。
明治末期の小説ですけど、これはどのあたりのことだろうと考え込んでしまう地名がほとんどでてきませんでした。どの地名も100年以上、命をながらえています。
K まあ、地名というのはだいたいそれくらいはね。
W ウディ・アレン監督が2011年に作った「ミッドナイト・イン・パリ」という映画があるんですけど見ました?
K まだ見てないです。
W 現代のアメリカの小説家がパリの夜の街に紛れ込んで、いつのまにか1920年代、1890年代のパリにタイムスリップしてしまう。そこでヘミングウェイやコール・ポーター、ピカソ、印象派の画家たちなんかと知り合いになるという奇想天外な映画ですが、僕はすごく面白く見ました。主人公をつけまわす探偵も出てくるんですけどね。
大都会の暗闇を描いていて、「彼岸過迄」の前半に雰囲気が似ていると思いました。なにやら謎めいている。この小説にも出てくるスティーブンスンの「新アラビア夜話」が「ミッドナイト・イン・ロンドン」で、「彼岸過迄」が「ミッドナイト・イン・東京」。 
K そうですか。

「余裕って君。――僕は昨日雨が降るから天気の好い日に来てくれって、貴方を断ったでしょう。その訳は今言う必要もないが、なにしろそんな我儘な断わり方が世間にあると思いますか。田口だったらそういう断わり方は決してできない。田口が好んで人に会うのはなぜだといってごらん。田口は世の中に求めるところのある人だからです。つまり僕のような高等遊民でないからです。いくら他の感情を害したって、困りゃしないという余裕がないからです」
                 (同上)


「第一ああ忙しくしていちゃあ、頭の中に組織立った考えのできる閑がないから駄目です。彼奴の脳ときたら、年が年中摺鉢(すりばち)の中で、擂木(すりこぎ)に掻き廻されてる味噌見たようなもんでね。あんまり活動し過ぎて、何の形にもならない」
                  (同上)

「貴方の御話でだいぶ田口さんが解って来た様ですが、私はあのかたの前へ出ると、なんだか気が落ち付かなくって変に苦しいです」
「そりゃ向こうでも君に気を許さないからさ」
                 (同上)

W 上の引用は敬太郎が、高等遊民を自称する松本と面会している場面です。敬太郎にも松本と田口の違いが、はっきり分かるようになってきます。ただこのあと、敬太郎は田口に就職先を世話してもらいますし、松本に強く惹かれるというわけでもありません。彼のような行動的な青年には、松本のように遊んで暮らしている人間のことが、よく理解できなかったんじゃないかな。
K このあたりにくると敬太郎の心情はあまり描写されなくなるので、よくわかりませんね。
W この後、小説は敬太郎が須永市蔵の話を柴又の川魚料理屋と茶屋で聞く「須永の話」に入ります。この部分がこの小説の中心だと僕は思いましたけど。
K 無理に中心を決めなくてもいいでしょう。

僕の思い切ったことのできずにぐずぐずしているのは、なにより先に結果を考えて取越し苦労をするからである。千代子が風のごとくに自由に振舞うのは、さきの見えないほど強い感情が一度に胸に湧き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人である。だから恐れる僕を軽蔑するのである。
                  (同上) 

W 須永市蔵は内省的な青年で、大きな悩みを抱えています。「それから」の代助とくらべると、内省的である点は同じです。でも、年も若いし、自分が消極的で内省的なことに悩んでいます。代助は、そのあたり悩みませんよね。内省的である自分に自信を持っている。「彼岸過迄」でいうと、市蔵より叔父さんの松本に似ています。
K そうですね。
W 市蔵は、母親がなぜか強く勧める、田口の娘の千代子との結婚問題に直面しています。「恐れる男」と「恐れない女」という言葉が出てきます。この千代子さん、どうでした?
K 僕はあんまり魅力的に描かれているようには思いませんでした。市蔵が結婚したくない気持ちもわかります。
W そうですか。どっちかって言うと勝ち気な女性ですよね。「須永の話」のなかでも、親戚数人で行く鎌倉への避暑旅行がひとつのハイライトです。市蔵は幼なじみの千代子との関係に悩むんですが、鎌倉でイギリス帰りの高木という青年が現れます。漱石がしばしばとりあげた「男女の三角関係」が、ここにでてきます。

僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨しかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには十分だったかもしれない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せ付けるような態度で、誇り顔を発揮するのではなかろうかという疑いが起こった。その時僕は急に彼を憎みだした。そうして僕の口を利くべき機会が回ってきてもわざと沈黙を守った。
                   (同上)

僕はこの二日間に娶るつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも目の前に出没するかぎりは、厭でも仕舞まで釣られてゆきそうな心持ちがした。
                    (同上)

W 上の部分なんか、僕は漱石が留学したイギリスのイメージそのものなんじゃないかと思ったんですけどね。あまり愉快でなかったイギリス留学。高木=イギリス。
K なるほど。

僕も男だからこれからさきいつどんな女を的に激烈な恋に陥らないとも限らない。しかし僕は断言する。もしその恋と同じ度合いの劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐にして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも、勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれほど切ない競争をしなければ吾有(わがもの)にできにくいほど、どっちへ動いても好い女なら、それほど切ない競争に値しない女だとしか僕には認められないのである。
                   (同上)

僕はこの変な心持ちとともに、千代子の見ている前で、高木の脳天に重い文鎮を骨の底まで打ち込んだ夢を、大きな目を開きながら見て、驚いて立ち上がった。
                                   (同上)

高木を媒鳥(おとり)に僕を釣るつもりか。釣るのは、最後の目的もないくせに、ただ僕の彼女に対する愛情を一時的に刺激して楽しむつもりか。あるいは僕にある意味で高木のようになれというつもりか。そうすれば僕を愛しても好いというつもりか。あるいは高木と僕と戦うところを眺めて面白かったというつもりか。または高木を僕の目の前に出して、こういう人がいるのだから、早く思い切れというつもりか。――僕は技巧の二字をどこまでも割って考えた。そうして技巧なら競争だと考えた。戦争ならどうしても勝負に終わるべきだと考えた。    
                 (同上)

W 鎌倉旅行の最中も東京に帰ってからも、市蔵は千代子、高木との三角関係に悩みます。千代子の自分への態度が、高木をだしに使った巧妙な技巧ではないかと疑います。実際のところ、どうだったんでしょうね。
K そういうこともあったんじゃないですかね。

「貴方は卑怯です。徳義的に卑怯です。妾が叔母さんと貴方を鎌倉へ招待した料簡さえ貴方はすでに疑っていらっしゃる。それがすでに卑怯です。が、それは問題じゃありません。貴方は他の招待に応じておきながら、なぜ平生のように愉快にしてくださることができないんです。妾は貴方を招待したために恥を掻いたも同じことです。貴方は妾の宅の客に侮辱を与えた結果、妾にも侮辱を与えています」
「侮辱を与えた覚えはない」
「あります。言葉や仕打ちはどうでも構わないんです。貴方の態度が侮辱を与えているんです。態度が与えていないでも、貴方の心が与えているんです」
                  (同上)

W 東京に帰ってきてから、千代子は市蔵の鎌倉での様子をなじります。高木には市蔵を受け入れる度量があったのに、市蔵にはなかった。口数すくなく不機嫌になって、まわりの人間を不愉快にした、と非難するんです。僕なんて、しょっちゅうあるけどなあ、なにも喋らなくなっちゃうこと。沈黙はマイナスじゃなくて、ゼロだと思ってるんだけど。駄目なのかな。
K 僕にもありますね。どこかで「嫉妬心だけあって競争心をもたない」っていう言葉が出てきましたが、いい言葉です。市蔵の章を読んでいると優柔不断もいいものだという気持ちになってきます。
W 結局、千代子と高木はその後なにもなくて、ひょっとすると市蔵の独り相撲だったかもしれないんですよね。頭の中で一人で格闘していた。このあと、「松本の話」に移ります。

 須永の姉も田口の姉も、僕と市蔵の性質があまりよく似ているので驚いている。僕自身もどうしてこんな変わり者が親類に二人揃ってできたのだろうかと考えては不思議に思う。須永の姉の料簡では、市蔵の今日はまったく僕の感化を受けた結果にすぎないと見ているらしい。          
                 (同上)

市蔵という男は世の中と接触するたびに内へとぐろを捲き込む性質である。だから一つ刺激を受けると、その刺激がそれからそれへと回転して、だんだん深く細かく心の奥に喰い込んでゆく。そうしてどこまで喰い込んでいって際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。しまいにはどうかしてこの内面の活動から逃れたいから祈るくらいに気を悩ますのだけれども、自分の力ではいかんともすべからざる呪いのごとくに引っ張られてゆく。そうしていつかこの努力のために斃(たお)れなればならないという怖れを抱くようになる。そうして気狂のように疲れる。これが市蔵の命根に横たわる一大不幸である。この不幸を転じて幸とするには、内へ内へと向く彼の命の方向を逆にして、外へとぐろを捲き出させるよりほか仕方がない。  
                 (同上)
 
天下にたった一つで好いから、自分の心を奪い取るような偉いものか、美しいものか、優しいものか、を見出さなければならない。
                (同上) 

W 叔父の松本は須永市蔵のことをよく観察してるんですよね。自分と似ていると他からは見えるかもしれないけど、内実はずいぶん違う。市蔵は、どんどん内向していって、悩みが深まる。それを防ぐには、とぐろを外に向ける、なにか自分の心を奪い取るようなものを見つけなければいけない、と言っています。
K この最後の松本の章もいいですね。
W そうでしょ。この小説「須永の話」と「松本の話」がすごくいいんですよ。同じ事象を表と裏の両面から見てる。

僕はこういう市蔵を仕立て上げた責任者として親類のものから暗に恨まれているが、僕自身もその点については疚(や)ましいところが大いにあるのだから仕方がない。僕はつまり性格に応じて人を導く術を心得なかったのである。ただ自分の好尚を移せるだけ市蔵の上に移せばそれで十分だという無分別から、かってしだいに若いものの柔らかい精神を動かしてきたのが、すべての禍の本になったらしい。
                 (同上)

 事実を一言でいうと、僕の今遣っているような生活は、僕に最も適当なので、市蔵には決して向かないのである。
                (同上)

僕がこのくらい好い年をしながら、まだたいへん若いところがあるのに引き更えて、市蔵は高等学校時代からすでに老成していた。彼は社会を考える種に使うけれども、僕は社会の考えにこっちから乗り移ってゆくだけである。そこに彼の長所があり、かねて彼の不幸が潜んでいる。
               (同上)

W 上の引用のあたり、よくわかるところがあるんですけどね。僕も内にこもるタイプで、積極的な行動はほとんどしない。でも、そのことには悩まない。今の自分でいいと思っている。松本や代助と同じです。
でも、学生の人で市蔵と同じような悩みを抱えている人もいて、僕のところなんかに来る人もいるんです。そういう人には、松本と同じように、自分の好尚をうつせば充分と言うか、「悩む必要なんか全然ないんじゃないの?」ということが、何となく伝わればいいと思うんですけど、なかなかうまくいかない。僕なんかより、深く真剣に悩んでいる若い人っているんですよね。そういう時は、自分のどうしようもなさをすごく感じます。
K そこの違いは面白いですね。

市蔵はしばらくして自分はなぜこう人に嫌われるんだろうと突然意外な述懐をした。僕はその時ならないのと平生の市蔵に似合わしからないのとで驚かされた。なぜそんな愚痴を零(こぼ)すのかと窘(たしな)めるような調子で反問を加えた。
「愚痴じゃありません。事実だから言うのです」
「じゃ誰がお前を嫌っているかい」
「現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」
 僕は再び驚かされた。
 (同上)
 
 市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰藉の言葉が、明晰な頭脳を有った市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは後の神経がどこか調子を失っているためではなかろうかという疑いも起こった。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危みはじめた。
 「おれもいっしょに行こうか」
 「叔父さんといっしょじゃ」と市蔵が苦笑した。
 「不可(いけ)ないかい」
 「平生ならこっちから誘っても行ってもらいたいんだが、なにしろどこへ立つんだか分からない、いわば気の向きしだい予定の狂う旅行だからお気の毒でね。それに僕の方でも貴方がいると束縛があって面白くないからーーー」
 「じゃ止そう」と僕はすぐ申し出を撤回した。
                  (同上)

W 市蔵は京都、大阪、宮島方面に一人で旅行に行こうと考えます。一人旅というところで、僕も「極端な出来事」が、ちょっと心配になったんですけどね。
K 自殺とかですか。
W そうですね、自殺。京都と宮島、僕も大好きです。宮島には漱石が泊まったという古い旅館があります。海に沈んでいく神社もあるし、鹿もいます。

僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔付をして、妻からよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうもお前の予言のほうが適中したらしいといった時、妻は愛想もなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たようなことが、めったにあって堪るもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じもののごとく見なす女であった。そうして両方とも嘘と信じて疑わないほど浪漫斯(ロマンス)に縁の遠い女であった。 
                    (同上)

こんな詰らない話を一々書く面倒を厭わなくなったのも、つまりは考えずに観るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕にはいちばん薬だと思います。
                        (同上)

W 市蔵は、旅先から松本に手紙を何通も出すんですが、「考えずに観ることを覚えた」と伝えます。松本の言葉でいえば、「外へとぐろを巻く」ということでしょうか。
この小説では、鎌倉への親戚での旅行と、市蔵の関西方面への一人旅が対照的に描かれてますよね。親戚との旅行は市蔵を抑圧、疎外し、一人旅は彼を解放する。吉本隆明さんがよく言っていた「1人の世界」と「2人の世界」と「3人以上の世界」は別物だって本当にそうだと思いますけど、旅行って、それが凝縮した形で出てきますね。濃度が濃くなるというか、3つの世界がそれぞれ純化される。各々の世界の意味がはっきりする。
K そうですね。
W 僕は、3人以上で行く旅行ってダメなんですよね。途中で一人帰ってきちゃったことも何度かあります。人との関係が、妙に生々しくなる。逃げ場もないし。2人の場合は大丈夫かな。たいてい、喧嘩別れせずに帰ってきます。
だからこの小説の鎌倉海岸での須永市蔵の息苦しさは、すごくよくわかります。いたたまれない感じ、この場に自分はいない方がいいんじゃないか、という感覚。疎外感を強く感じてしまう。僕は小学校の修学旅行の時から嫌だった。旅行以外では、それほどストレートに感じないんですけどね。
K うん。わかります。
W この小説の2年後に漱石は「こころ」という小説を書きました。青空文庫でも、太宰治の「人間失格」とともに、最も多くの人に読まれている作品です。「彼岸過迄」も「こころ」も内省的な青年の三角関係を描いています。三角関係の形は随分違いますが。
漱石の「『心』自序」を読むと、「こころ」も、はじめ「彼岸過迄」のように短編の集合体の長編を作ろうとしてたようなんです。「彼岸過迄」と同じような試みを考えていた。結局、最初の話が長くなって、「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」だけになりましたけど。 
K そうですか。
W 須永市蔵は「極端の出来事」に至らなかったけど、「こころ」の先生は自殺してしまった。引き返した市蔵と、引き返さなかった「先生」。
それからもうひとつ思ったのは、「一人称の文章の力強さ」です。「私小説」というのは著者と主人公が一致する小説ですが、もっと広く、一致しなくてもいいからとにかく「私」とか「僕」とかを使って書く告白体の小説です、一人称の小説というのは。「こころ」や「人間失格」、ドストエフスキーの「地下室の手記」なんかが代表的ですが、「彼岸過迄」の「須永の話」や「松本の話」もそうですよね。迫力が半端じゃない。
これは僕の勝手な想像ですが、漱石は「須永の話」「松本の話」から「先生と遺書」を考えついたんじゃないかしら。そういう意味じゃ、「こころ」だけじゃなくて「彼岸過迄」ももっと多くの人に読まれてもいいんじゃないでしょうか。
「こころ」の先生の悩みより、須永の悩みの方が、人間の本質的な問題に迫っていると僕は思います。「須永の話」や「松本の話」までたどりつくのが、なかなか大変ですけど。
K なるほど。

文章心得帳

W ところで、さっき少し触れた鶴見俊輔さんの「文章心得帳」という本ですが、文章を作る上でのさまざまなヒントが載っています。最初に出版されたのは1980年ですね。小池さんは、鶴見俊輔、知ってますか?
K 知っていますが、知り合いではないです。
W あはは。1922年生まれですから、もう90才をこえられているんですね。僕も若い頃は、彼の本をずいぶん読んで、とても影響を受けました。こちらの全く思ってもみなかったようなことを、平易な文章で書いていたんです。ほめ上手で、イラストレーターの南伸坊や数学者の森毅の文章、谷沢永一の書評なんかを大変にほめていました。吉本隆明との対談もあります。次の引用は、「文章心得帳」からのものです。

 紋切型の言葉に乗ってスイスイ物を言わないこと。つまり、他人の声をもってしゃべるんじゃなくて、自分の肉声で普通にしゃべるように文章を書くことです。人のつくったある程度気の利いた言いまわしを避けることですね。普通の光らない言葉、みんなの共通語を主に使って、これというところについては、その普通の言葉を自分流に新しく使うこと。それが自分の状況にかなう言葉なんですね。
  (鶴見俊輔「文章心得帳」1819ページ(ちくま学芸文庫)19802013 より)

起きる、眠る、食べる、歩く、これは普通の言葉であり、共通語です。紋切型以上の紋切型の言葉です。どうしても避けられない言葉で、それを避ける必要はない。
紋切型を避けるというのは、「戦後強くなったのは女と靴下である」という程度の紋切型を避けるべきだということです。むしろ「歩く」とか「眠る」とか、紋切型中の紋切型のなかに進んでいけば、おのずから活路もでてきます。そういう自分が生まれた時から聞いてきた言葉、ずっと使い慣れてきた言葉で書いてゆけば、自分の肉声をそれに乗せることができる。人のペースに巻き込まれない表現ができてきます。そういう言葉を主に使った文章は、すぐれた文章になる。
               (同上 19-20ページより)

W 紋切り型の表現を避けるには、自分が生まれた時から聞いてきた言葉を使って、自分の肉声をそれにのせるとよいと言っています。
K それはよくやりますね。

 たとえば、私が教師をしていた時代でいえば、「アノミー」という言葉がよく使われました。それはどういう意味かというと、だいたいの学生が言えない。無秩序状態という意味なんですが、こういう言葉を使うときには、自分がきちんと定義できる用意があって、そのうえではじめて試合にでるべきであって、それはどういう意味ですか、と問われたら、その場にあるもので定義できなければいけない。ここで格闘すべきなのであって、家へ帰れば鉄砲があるから、それをもってきて撃つ、というのでは殺されてしまう。
 少なくとも、ここにあるもので大体のことが定義できるという用意が必要です。そういう感じの文章は、私はいい文章だと思います。
                (同上 23-24ページより) 

W 上の引用なんて、他の人も言う意見かもしれないけど、「家へ帰れば鉄砲があるから、それをもってきて撃つ、というのでは殺されてしまう」というところが面白くてね。忘れられませんでした。なにか抽象的な言葉を使うときは、「それ、どういう意味ですか?」と聞かれたら、その場ですぐに答えられなきゃいけない。より具体的な言葉で言い換えることができるというか。そういう心構えでいると、自分でもよくわからない言葉を使うケースがものすごく減ってきます。ものを書くときでも、しゃべるときでも。足が地に着いた表現が出来る。
 高校生でも大学生でも、学校の先生がよくわからないこと、しゃべってたら、「それ、どういう意味ですか?」とか「もっと簡単な言葉でしゃべってください」と遠慮せずに言った方がいいですね。「簡単な言葉で説明してもらったら、身も蓋もない内容だった」ってことも多いと思うけど。
K はい。
W もちろん、言葉の厳密な定義も必要で、それは「家へ帰れば鉄砲があるから」と言うことになるんでしょうけど、やはり、その場で答えられるというか、自分が使った言葉には、「即座に全責任を持つ」ということも大切だと思います。
 もうひとつ、前回話に出た第62NHK杯囲碁トーナメントのことですが、結局、20才の伊田篤史八段と17才の一力遼七段が315日放送の決勝戦に残って、伊田八段が優勝しました。7大タイトルのうちの4つを持っている井山裕太名人も25才ですし、本当に若者の天下です。将棋の方では、準決勝で反則の二歩が出て話題になっていますが。
K 誰一人名前が分からない。
W あはは、そうですか。囲碁を打つ日本人って、沢山いると思うけど、10代、20代の人が、今一番強いっておもしろいですよね。いろんな原因が考えられると思いますが、NHK杯の解説で小林覚九段は「コンピュータの利用が大きいんではないか」と言っていました。
世界中の棋譜がすぐ入手でき、優秀な囲碁ソフトもふえた。情報量が格段に増えたし、自分の部屋でコンピュータを前にして、一人で研究できるから効率もすごく良い。井山名人は、子どもの頃、師匠の石井邦生九段にネットを使って、碁を沢山打ってもらったと言っています。
K へえ。
W 外出しないで、自分の部屋でいろんな事が出来るって本当に効率良いんですよね、囲碁に限らず。無駄なお金を使わないし、24時間、勉強することだって可能です。夏目漱石の作品は、現在、青空文庫に104点入ってますけど、1ヶ月あれば、全部読めますよね、たぶん。中・長編小説は15編しかないし。
K そうですね。
W 17才と20才の決勝戦ということから、ちょっと思ったんですけど、たとえば大学入試センター試験で高得点をあげることなんかも、コンピュータの利用で勉強が効率的になって、これまでよりは簡単になるんじゃないかしら。そうした環境が、ここ数年で整うんじゃないのかな。すごく優秀で安価な受験アプリとかできて。それを使えばだれでも80点は取れるとか。だから、国は「センター試験やめる」とか言いだしたのかも知れないけど。
K 整った環境を使って効率的に勉強できれば十分ですよ。
W コンピュータ利用の自宅での受験勉強って、これまでよりもお金かからないと思うんです。そうすると親の階層や所得による子どもの成績格差とか進学格差が縮小していくんじゃないかしら。「金持の家の子どもの方が上の学校に進学しやすい」という傾向が薄まる。親の財力が問題にならなくなる。そうなったら、いいですよね。長年の教育問題が一挙に解決する。そのあたり、どう思います?
K そう簡単にはいかない、と思います。
                   
20153月  東京・大泉学園にて)

<参考・引用文献>          
夏目漱石  彼岸過迄 1912
――――  それから 1909
――――  こころ  1914
――――  『心』予告 1914
――――  『心』自序 1914
太宰治   人間失格 1948
                   (以上 青空文庫より)

夏目漱石  彼岸過迄  新潮文庫(柄谷柄人の解説を収録) 19121952 
――――  彼岸過迄  角川文庫 19121965  
新潮日本文学アルバム2 夏目漱石 新潮社 1983
江藤淳   漱石とその時代 第四部 新潮社 1996
吉本隆明  夏目漱石を読む 筑摩書房 2002
芹沢俊介  文学の中のモラトリアム青年(「現代のエスプリ」460号に収録)至文堂 2005
鶴見俊輔  文章心得帳  ちくま学芸文庫  19802013
スティーブンスン 新アラビア夜話(南條竹則・坂本あおい訳)光文社古典新訳文庫18822007


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