2015年1月13日火曜日

第52章 斜陽

--斜陽」は太宰治が1947(昭和22)に雑誌「新潮」に発表した中編小説。主人公の29歳の女性、かず子をとりまく人間模様を描いた作品。翌年の1948年、太宰は39才で自殺したが、「斜陽」はその年のベストセラーになった。(まとめ・渡部)-- 

W 今回は太宰治の「斜陽」です。彼の作品は青空文庫に272点入っています。この小池さんとのブログでは「桜桃」「お伽草子」「新ハムレット」を取り上げましたから、今回が4作目ですね。新潮文庫で203ページあります。ちょっと長めの中編小説。
 小池さんは以前に読んだことがあって、今回が2度目だと思いますが、どんな感想を持ちましたか?
K いや、3回目ですね。
 過去に2回読んだことがあるはずですが、不思議と物語はほとんど記憶にありませんでした。今回新潮社の文庫で読みましたが、奥野健男の解説にもあったように、太宰文学の総集編というようなものだと思いました。
W 僕は高校生の時、初めて読んだんです。中学の教科書に「走れメロス」、高校の教科書に「富嶽百景」がのっていて、面白かったので、集英社版の日本文学全集の中の「太宰治集」を買ったんです。表紙が赤色で、たしか280円か380円と安かったんです。当時だと、ラーメン一杯の値段でしたね。1960年代の終わり頃ですけど。
奥野健男さんの30ページにもわたる解説つきでした。全部で14の作品が入っていたんですが、一番最初に「斜陽」と「人間失格」が載っていたんです。普通、最初の作品から読みはじめますよね。
K はい。
W 本の配列が、書かれた時代順じゃなかったんです。たぶん、奥野さんが読者に、まず「斜陽」と「人間失格」を読んでほしいと思って並べたんじゃないかな。奥野さんは、当時から太宰研究の第一人者でした。作品の並べ方から気合が入っていたというか。それで僕も「斜陽」から読み始めました。
ただ最初の方は正直、あまりおもしろくありませんでした。第2次世界大戦直後の29歳の女性とその母親の生活が、いくつかのエピソードを交えて淡々と描かれていました。華族の家ということになってるんですけど、生活は豊かじゃない。
K そうですね。
W でも途中からどんどん、おもしろくなってきました。8章構成なんですが、主人公の母親が5章の終わりで死んで、6章の最初が「戦闘、開始」という言葉から始まります。   
女主人公が、小説家の上原二郎の住んでいる東京に出かけて行くんですけど、このあたりから、わくわくしながら読んだことを覚えています。「途中から急におもしろくなる小説」という印象でした。高校生だったから、恋がどんなものかなんて、まだよくわかってなかったと思うんですけどね。そうでもないか。
               
 朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽(かす)かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
                     (太宰治「斜陽」より)

W 上の引用は、この小説の冒頭部分です。女性の一人称の文章ですね。太宰は、この書き方が得意だったんです。他の作品もいくつか並べてみます。

朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。いやだ。いやだ。朝の私は一ばん醜い。両方の脚が、くたくたに疲れて、そうして、もう、何もしたくない。熟睡していないせいかしら。朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。いつもいつも同じ。一ばん虚無だ。朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。いやになる。いろいろ醜い後悔ばっかり、いちどに、どっとかたまって胸をふさぎ、身悶えしちゃう。
 朝は、意地悪。
                  (太宰治「女生徒」より)    

いったい私は、毎日ここに坐って、誰を待っているのでしょう。どんな人を?いいえ、私の待っているものは、人間でないかも知れない。私は、人間をきらいです。いいえ、こわいのです。人と顔を合わせて、お変りありませんか、寒くなりました、などと言いたくもない挨拶を、いい加減に言っていると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持になって、死にたくなります。そうしてまた、相手の人も、むやみに私を警戒して、当たらずさわらずのお世辞やら、もったいぶった嘘の感想などを述べて、私はそれを聞いて、相手の人のけちな用心深さが悲しく、いよいよ世の中がいやでいやでたまらなくなります。世の中の人というものは、お互い、こわばった挨拶をして、用心して、そうしてお互いに疲れて、一生を送るものなのでしょうか。私は、人に逢うのが、いやなのです。
                 (太宰治「待つ」より)

 トランプの遊びのように、マイナスを全部あつめるとプラスに変るという事は、この世の道徳には起こり得ない事でしょうか。
 神がいるなら、出て来て下さい!私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました。
                   (中略)
夫は、黙ってまた新聞に眼をそそぎ、
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮れにね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」
 私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
 と言いました。 
                   (太宰治「ヴィヨンの妻」より)

W どうですか?
K たしかに太宰の作品に女性の一人称の印象はありますね。
W 他にも「皮膚と心」「おさん」「饗応夫人」といった小説があります。男性の小説家で、女性の一人称で書く作家、ほかにどんな人がいますかね。僕はあまり、思い浮かばないんですけど。
K いろいろといると思いますが、ぱっとは出てこないですね。
W 漱石、鴎外あたりでも見たことないなあ。太宰はとても上手ですよね。自然と言うか。
 この「斜陽」という小説、主要な登場人物は、かず子と母親、弟の直治、小説家の上原二郎の4人です。小池さんは、この4人のうちだれに一番感情移入しましたか?
K 難しいですね。誰にもあまり感情移入しなかったです。
W 僕は弟の直治と作家の上原さんなんですよね。どっちも太宰の分身のように見えました。僕はこの小説、何度も読み返したことがあったんですけど、いつも一部分だけでした。具体的に言うと、直治の「夕顔日記」と「遺書」、それに作品の後半、上原さんが活躍する部分だけなんです。それだけ、この2人に魅力があったということなんですが。
K へえ。
W たぶん、こういう一部分だけ繰り返して読むというやり方をとったのは、この小説がはじめてだったと思います。ある交響曲の第4楽章ばかり聞き直すという感じで。「人間失格」なんかは全部を読み返しましたが。
「斜陽」は、シベリウスの2番に似ていると思いました。チャイコフスキーで言うと5番で、「人間失格」が6番。どちらにしても、いろんな断片が放り込まれているから、ピアノソナタとか室内楽ではないですね。堂々とした交響曲。
K そうですか。
W 次の引用は、直治の「夕顔日記」の一部です。彼が戦争に行く前の日記です。かなり若かった頃に設定されています。 

アレモ人ノ子。生キテイル。
 論理は、所詮、論理への愛である。生きている人間への愛では無い。
 金と女。論理は、はにかみ、そそくさと歩み去る。
 歴史、哲学、教育、宗教、法律、政治、経済、社会、そんな学問なんかより、ひとりの処女の微笑が尊いというファウスト博士の勇敢なる実証。
 学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。
                    (太宰治「斜陽」より)

不良でない人間があるだろうか。
味気ない思い。
金が欲しい。
さもなくば、
眠りながらの自然死!
                  (同上)

 デカダン?しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。そんな事を言って、僕を非難する人よりは、死ね!と言ってくれる人のほうがありがたい。さっぱりする。けれども人は、めったに死ね!とは言わないものだ。ケチくさく、用心深い偽善者どもよ。
 正義?所謂階級闘争の本質は、そんなところにありはせぬ。人道?冗談じゃない。僕は知っているよ。自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ。殺す事だ。死ね!という宣言でなかったら何だ。ごまかしちゃいけねえ。
                  (同上)

 人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。この頃の、指導者たちの、あのまじめさ。ぷ!

 人から尊敬されようと思わぬ人たちと遊びたい。
 けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。
                   (同上)

 プライドとは何だ、プライドとは。
 人間は、いや、男は、(おれはすぐれている)(おれにはいいところがあるんだ)などと思わずに、生きて行く事が出来ぬものか。
 人をきらい、人にきらわれる。
 ちえくらべ。

 厳粛=阿呆感

 とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているのに違いないのさ。
                  (同上)

W 今読んでみても、「太宰治だよなあ」と思いますね。生に対するオール否定というか。でも、高校生で読んだ時、まだ「走れメロス」と「富嶽百景」しか知らなかったから、ちょっとびっくりしました。あとになって、彼の若い頃の作品をいろいろ読んでみたら、「なんだ、直治って、若い頃の太宰自身のことだったんだ」ってわかりましたけど。
K そうですね。若いころの作品とかなり重なるものがあります。
W またこの作品には、主人公のかず子が作家の上原に送った手紙も、4通挿入されています。

 待つ。ああ、人間の生活には、喜んだり、怒ったり悲しんだり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの一パーセントを占めているだけの感情で、あとの九十九パーセントは、ただ待って暮らしているのではないでしょうか。幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。生まれて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。みじめすぎます。生まれて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。 
 はばむ道徳を、押しのけられませんか?
                 (同上)

W 女性からこういう手紙もらったら、どうしようかなあ。
K こわいですね。
W たしかに、かず子が上原との恋愛にあまりに真剣なんで、ちょっとこわいというか、ひいてしまうところはありますね。

破壊思想。破壊は、哀れで悲しくて、そうして美しいものだ。破壊して、立て直して、完成しようという夢。そうして、いったん破壊すれば、永遠に完成の日が来ないかも知れぬのに、それでも、したう恋ゆえに、破壊しなければならぬのだ。革命を起こさなければならぬのだ。ローザはマルキシズムに、悲しくひたむきの恋をしている。 
                  (同上)

私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれて来たのだ。
                     (同上)

W 上の破壊思想のところで、経済学への言及もあって、「人間というものは、ケチなもので、そうして、永遠にケチなものだという前提が無いと全く成り立たない学問」と、かず子が指摘します。昔から忘れられないんですけどね、この部分。僕もあんまり、ケチな方ではないというか浪費家で、お金の使い方が乱暴なんで、こういう言い方には、うなずいちゃいますね。
K ふーん。
W 心理学でも社会学でも他の分野の学問でもそうだけど、「そこのところは絶対に触れないようにしましょう」という暗黙の前提があって、そのあたりを問題にしだすと、学問自体が成り立たなくなることもあるんじゃないかしら。寅さんじゃないけど、「それを言ったらおしまいだよ」みたいな。でもそこの部分が、本当はけっこう大事だったりして。
K それはありますね。
W 社会学では、「人間は一人では生きていけないんだから」とよく言いますけど、未来永劫にわたって、そうなんですかね。
「恋と革命」のところでは、「敗戦後、私たちは世間のおとなを信用しなくなって、何でもあのひとたちの言うことの反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄だと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。」というところがあります。「お説ごもっとも」というか「あなたは正しい」というか。   
K それはそうなのかもしれないですが、どこか、この主人公は表面的というか、ズルさをかんじてしまいますね。
W新潮文庫版の解説で、柄谷行人さんも「他の3人に比べて、かず子に生彩がない」という言い方をしてますね。

「とにかくね」
と隣室の紳士がおっしゃる。 
「これから東京で生活していくにはだね、コンチワア、という軽薄きわまる挨拶が平気で出来るようでなければ、とても駄目だね。いまのわれらに、重厚だの、誠実だの、そんな美徳を要求するのは、首くくりの足を引っぱるようなものだ。重厚?誠実?ペッ、プッだ。生きて行けやしねえじゃないか。もしもだね、コンチワアを軽く言えなかったら、あとは、道が三つしか無いんだ、一つは帰農だ、一つは自殺、もう一つは女のヒモさ」
                (同上)

「恋だけだね。おめえの手紙のお説のとおりだよ」
「そう」
 私のその恋は消えていた。
                  (同上)

W 上の引用は、かず子が上京して、小説家の上原に再会する部分です。荻窪、阿佐ヶ谷、西荻と中央線沿線の駅ちかくの飲み屋が主たる舞台になっています。「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」という意味の無い掛け声が繰り返されて、その場にいるような、無理やりひきずりこまれていくような迫力があります。「かなしい、かなしい恋の成就」といった名文句もでてきます。
K はい。
           
直治の遺書。

 姉さん。
 だめだ。さきに行くよ。
 僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。
 生きていたい人だけは、生きるがよい。
 人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。
 僕のこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当たり前の、それこそプリミチブな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
 生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の栄冠とでもいうものも、きっとその辺にあるのでしょうが、しかし、死ぬことだって、罪では無いと思うんです。
 僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きていくのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。
                (同上)
姉さん。
 僕には、希望の地盤が無いんです。さようなら。
 結局、僕の死は自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いんですから。
                                              (同上)

W 直治の遺書は、この小説のハイライトですね。「斜陽」の素材になったと言われる「斜陽日記」の著者、太田静子さんも、本のあとがきで「あのかたは、『斜陽』を書いていらっしゃるうちにーー直治の遺書まで来て、本当に死にたくなったのではないでしょうか?」「あんなに『斜陽』が、若いかたたちのこころを捉えたのは、直治の遺書なのだと思います。それから、かず子の恋の成就。」と書いています。
K そうですかね。
W 「なぜ生きていなければならないのか」小池さんはわかります?
K さあ。
W 僕は、よくわかんないなあ、昔から。
 小池さんは、今まで出てきた部分以外に、この小説で面白かったところ、ありましたか?
K 今回は、全体的にあまり面白いと思わなかったんですね。昔読んだ時のことは覚えていませんが。
W そうですか。それはちょっと残念でしたね。ところで、太宰は「斜陽」を発表した翌年に死んでしまったので、この作品に自ら言及した文章はほとんど残っていません。
ただ、死ぬ直前に書いた随筆「如是我聞」のなかでは、いくつか触れているところがあります。先輩の作家、志賀直哉が座談会で、「斜陽」をけなしたので、それに対する反発という形をとっています。

言うことはいくらでもある。
 この者は人間の弱さを軽蔑している。自分に金のあるのを誇っている。「小僧の神様」という短編があるようだが、その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、苦痛なものである。何が神様だ。その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。
 またある座談会で(おまえはまた、どうして僕をそんなに気にするのかね。みっともない。)太宰君の「斜陽」なんていうのも読んだけど、閉口したな。なんて言っているようだが、「閉口したな」などという卑屈な言葉遣いには、こっちのほうであきれた。
                (太宰治「如是我聞」より)    

それでも、私は言わなければならない。狸か狐のにせものが、私の労作に対して「閉口」したなどと言っていい気持ちになっておさまっているからだ。
                      (同上)

貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮様が「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それでいいじゃないか。おまえたち成金の奴の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの?売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。
                    (同上)    

W 最後に、「いくらでも書くつもり」と言っていますが、このあと、直ぐ自殺してしまいました。最後の随筆の最後の部分が、上に引用した箇所なんです。
K ほんとに「いくらでも書くつもり」だなんて思っていたのかなあ。
W どうでしょう。いろいろと、おいつめられたところから出てきた言葉じゃないかな。この「如是我聞」という随筆、「新潮」という雑誌に4カ月にわたって掲載されました。「斜陽」がのったのと同じ雑誌ですね。青空文庫でも全文読めます。太宰の死ぬ直前の心境がよくわかります。「人間失格」も同じ年に書かれました。
K そうですね。
W ただ皮肉なことに、太宰の死後、志賀直哉は「人間失格」を褒めてるんですね。「斜陽」は、けなしたけど。
K はあ。
W 「如是我聞」からもう少し、引用してみます。 

人生とは、(私は確信を以って、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生まれてきたのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。
ためになる。
それが何だ。おいしいものを、所謂「ために」ならなくても、味わなければ、何処に私たちの生きている証拠があるのだろう。おいしいものは、味わなければいけない。味わうべきである。しかし、いままでの所謂「老大家」の差し出す料理に、何一つ私は、おいしいと感じなかった。
                (太宰治「如是我聞」より)

 民主主義の本質は、それは人によっていろいろに言えるだろうが、私は、「人間は人間に服従しない」あるいは、「人間は人間を征服出来ない、つまり、家来にすることが出来ない」それが民主主義の発祥の思想だと考えている。
                 (同上)

 後輩が先輩に対する礼、生徒が先生に対する礼、子が親に対する礼、それらは、いやになるほど私たちは教えられてきたし、また、多少、それを遵奉してきたつもりであるが、しかし先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼、それらは私たちは、一言も教えられたことはなかった。
                  (同上)

 真の正義とは、親分も無し、子分も無し、そうして自身も弱くて、何処かに収容せられてしまう姿に於て認められる。重ね重ね言うようだが、芸術に於ては、親分も子分も、また友人さえ、無いもののように私には思われる。
                  (同上)
 
強いと言うこと、自信のあるということ、それは何も作家たるものの重要な条件ではないのだ。
                  (同上) 

私のことを「いやなポーズがあって、どうもいい点が見つからないね」とか言っていたが、それは、おまえの、もはや石膏のギブスみたいに固定している馬鹿なポーズのせいなのだ。
も少し、弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ。おまえの流儀以外のものを、いや、その苦しさを解るように努力せよ。
                   (同上)         

本を読まないということは、その人が孤独でないという証拠である。隠者の装いをしていながら、周囲がつねに賑やかでなかったならば、さいわいである。
                     (同上)

W どうでしょう?
K 全然少しじゃないですね。
W ああ、引用の量ね。僕は「『斜陽』のなかの直治が、そのまま、ここにいるな」と思いました。上原さんというより、直治。
K そうですね。でもそれ故に直治はどうも焼き増しの感じがしてしまいます。
W なるほど。太宰の文章は、小説でも随筆でも、前後を切りはなして、ある部分だけ単独で持ってきやすいんですよね。名言集のようにして、とりだせる。「人生とは」とか「真の正義とは」、というようなわかりやすい形で言っているし。
K うん。
W 文芸評論家の吉本隆明さんが、1993年におこなった講演の中で、この「斜陽」という小説に触れています。1994年に刊行された「愛する作家たち」という本に入っていますが。僕なんか知らなかったことの指摘が色々あって、面白かったです。
一つは、太宰が1942年(昭和17年)に書いた「花火」という短編小説のなかに「斜陽」の原型があると言っていることです。言われてみると、主人公の少女、その兄と父親、知人の小説家の関係が「斜陽」に似ています。直治に似た少女の兄が死んで、「兄さんが死んだので、私たちは幸福になりました」という少女の一言で終わってるんですけどね。
K 気づきませんでした。
W 二つ目は、太宰治という作家は、一部では熱狂的な支持者がいたけど、知る人ぞ知るというマイナーな作家だった。誰でも知っているようなメジャーな作家になったのは「斜陽」がきっかけだったというんですね。吉本さんは、戦時中からの熱狂的な支持者だったわけで、それだけに、この「斜陽」という小説には照れくさいところがあったと言っています。よく知っている人が、急に有名人になってしまったようなものかな。なにしろ、1948年(昭和23年)に日本中で一番売れた本なわけですからね。
K そこなんですが、それは太宰本人にとってほんとに嬉しいことだったのかなと思います。
W 吉本さんも小池さんと同じような疑問を持ったようです。

もしマイナーなままでいたら、それほどではなかったとおもいますが、戦後にメジャーになってはやったということは、太宰治の場合には、矛盾として出てきたんだとおもいます。自分が捨身になって、悪いことばかり書いているつもりなんだけど、たぶんそのことが一般の、とくに若い人たちの気持ちにいちばんぴったりして流行的な作家になっていったということになるのです。それはある意味で当然なんで、戦争賛美から一夜にして平和謳歌に転換するものや、戦争をたたえながら、自分は抵抗したとしょうする人々が、文学の世界にあらわれても、誰も信用する読者はいません。しかし太宰治にしてみれば、急にメジャーになったことは不可解で、不可思議でしようがない。自分は生きているのもいやだと本当はいいたいくらいな崖っぷちで生きていたんだとおもいます。
          (吉本隆明「愛する作家たち」51ページ、19931994より)

W 上の文章は,吉本さんが、太宰と自分とを重ね合わせているところもあると思います。戦後直後の太宰と1960,70年代の吉本さんは重なるところがある。自分では以前と同じことをやっているつもりなのに、急に人々の注目を浴びて人気が出た。マイナーからメジャーになった。特に若い人から熱烈に支持された。
K ここでいわれている矛盾のようなものを太宰が感じていたとしたら、結構苦しい状況だったんじゃないかと思いますね。
W そうでしょうね。小池さんが前に褒めていた太宰の「トカトントン」が「斜陽」と同じ、1947年の作品なんです。どちらかというとマイナーな地味な作品ですけど、あっちの方に太宰の本領はあったのかもしれませんね。少数の読者を前に、地味な小説を書き続けるという。 
吉本さんの話に戻りますけど、僕も高校生の頃は、彼の本をよく読んでいました。さまざまな権威を、かたっぱしからうちやぶっていく破壊的な思想で、誰にも気がねしない。「この人だけは嘘ついてない」と思えたんですよね、子ども心に。そういう意味で、僕にとっては、太宰と吉本は太い一本の線でつながっていますね。2人は面識があったそうなんですけど。吉本さんが「君、その無精ひげ剃れよ」と太宰に言われたというエピソードは有名です。
若い頃の吉本さんは、論敵に厳しくて、さっきの太宰の「如是我聞」を何十年も、やっていたようなイメージがあります。太宰は4ヶ月だけやって死んでしまったんだけど。「如是我聞」を引き継いだというか。  
80年代あたりから吉本さんが太宰について、いろいろと論じるようになったことも、僕は嬉しかったですね。それも、非常に高い評価で。明治以降の小説家では、漱石と太宰が一番良いというような。
K なるほど。
W 110日の夜に、NHKの教育テレビで、吉本隆明の特集番組を90分間やっていたんですけど、見ました?
K いや、見なかったです。
W 梅原猛、上野千鶴子、橋爪大三郎、高橋源一郎といった人たちが、吉本さんの人生と仕事をふりかえった番組で、とても良かったですよ。死ぬまで社会から顰蹙を買うようなことを言い続けた吉本さんの姿がよく描かれていました。
それから、糸井重里さんの主宰するサイトで、吉本さんの講演の無料公開も始まったそうです。彼の講演も、朴訥とした感じで、とても親しみやすいものです。いつも新しいテーマをとりあげて、しゃべっていました。

  (20151月 東京・大泉学園にて)  
 
                    
<参考・引用文献>
太宰治 斜陽  1947
――― 女生徒 1939 
――― 待つ 1942
――― 皮膚と心 1939
――― 花火 1942
――― トカトントン 1947
――― ヴィヨンの妻 1947
――― 如是我聞 1948
――― 人間失格 1948
               (以上 青空文庫より)

太宰治 斜陽(新潮文庫)(奥野健男「太宰治 人と文学」柄谷行人「『斜陽』について」を収録)19471950
日本文学全集70 太宰治(作家と作品 奥野健男)集英社 1967 
太田静子 斜陽日記(朝日文庫) 19482012  
太田治子 明るい方へ  父・太宰治と母・太田静子(朝日文庫)20092012
吉本隆明 愛する作家たち(「太宰治」を収録)コスモの本、19931994  
―――― 悲劇の解読(「太宰治」を収録)筑摩書房 1979      
吉本隆明・他  吉本隆明「太宰治」を語る 大和書房  1988
奥野健男 太宰治論(新潮文庫) 1984